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ファイヤーガール 2 下巻 感想





はっきりいって、何を書けばいいのか、感想に困る内容だった。、つまらなかったわけではないのだが、読み終わった後の感覚が漠然としすぎていて、あまり言葉が出てこなかった。確かに確実に読み応えはあった。読んでいる最中は物語に集中できていた。なのに感想がもやもやとしている。本質を語るためには、提示されている情報が足りていないような気がする。お話としてはキリよく終わっているのだが、語るべきことが語られていないのではないか。

内容は上巻から直接続いている。冒頭のほむらと東野の遠出シーンで、部長である真世の婚約が冒険部部員に静かな衝撃を与えていたことを知る。彼らは別に仲良し小好しの友達グループ、というわけでもなく、そのつながりはそこまで強くもなく、むしろゆるくて脆い。作品を読んでいると、ほむらの感情の動きに着目しがちだが、東野にせよ真世にせよ直にせよ、それぞれが自分なりの想いを抱えながら冒険部に所属していることが示唆される。

「きみと稲荷の感じ方が違うのは当然だし、別にいいさ。ただ……稲荷は少しばかり大人に近づきすぎたのかもな」
「大人にですか」
「虚惑星では不都合なことがあっても、誰のせいにもできない。無茶も無謀も、サボりも強情も、ぜんぶ自分に返ってくる。自分自身で行動の責任を負わないといけない。すぐにそれを思い知らされる――だったらそれはもう大人ってことだ。そういう場所だ。けれどこの国の大人たちは、それを認めようとはしない。あくまでも未成年扱いだ。怖いから」


1巻の感想にも書いたが、ほむらはまだまだ子供で、その冒険心は責任感やプレッシャーがないからこそ成り立つものであると私は思っている。周囲との関係性にせよ圧力にせよ、それをそこまでの重みとして感じるほど、ほむらは経験を重ねていない(全く感じていないということではない。念のため)。逆にほむら以外の冒険部員は例外なくその重みを実感している。

(先輩も怖かったんだ――あの時)
それに気づけたことが何よりもほむらの不安を和らげてくれたのでした。


ほむらは何も考えていないようで、その実いろいろ他人のことをよく見ている。そして、案外自分の本音を隠すのが(自覚していないようだが)下手である。なんで東野を遠出に誘ったのか、直を冒険部に連れ戻そうと頑張るのか、周囲には簡単に感づかれてしまう。

「あなたはいい人だね。日ノ岡穂群さん」
意外なことを言われて、きょとんとするほむら。
「この『いい』は『良い』じゃなくて、『いいな』の『いい』だけど――近頃スナオはあなたのこともよく話すから。あなたは自分に正直に生きてる。あたしはそういうの、いいなって思うよ。未熟さを馬鹿にされたり、他人に追いつこうとして良い所を真似しながら偽者扱いされたり、それでもどんどん前に行けるのは、きっと強みになる」
「そんな立派なことは全然なくて……よく面の皮が厚いと言われます……」
「でも厚顔無恥、とは違うんじゃない。あなたはそんなのもう解ってて、ファッションみたいに着こなしてるみたいだ」


この物語は、誰かの視点から眺めた一つの風景にすぎない。その誰かの価値尺度で描写されているので、もしかしたらその描写には恣意的誘導が図られているかもしれない。時々、客観的な場面も写されているが、本当に描写すべきところは意図的にシャットアウトされている可能性がある。ほむらに対する「自分の生き方をファッションみたいに着こなしている」という評価。ほむらはこれを聞いたとき、いったいどう思ったのだろう。この作品では、その内心の狼狽が綺麗さっぱりそぎ落とされている。そこに恣意を感じざる。

「……冒険だよ東野くん。きっとこれが、冒険なんだよ」


特に下巻で一番引っかかったのは、遺跡での転移の際に、いささか唐突に挿し込まれた描写である。

「こんな恋は、さ……たった一度だけだって。人生で一度きりの恋だって……そう思っていたのに。いざ終わってしまったら、何処へ行けばいいのかなあ」
「……死ぬの?」
「ずばり言うよね……さあ、どうしたものやら。何も考えられないよ」
何かを想えば、悲しみにつながっていくから。
楽しかった思い出も、胸を熱くさせた憧れも、その想いが強いほど深い悲しみとなって私を沈ませる。
「死んだんだ、私――またいつか素敵なことが始まっても、きっともう、こんなふうに真っ白で新しい気持ちじゃ生きられない。何度もまた同じことを繰り返そうとして、それでも絶対たどり着けなくなって、そのうち魂の抜けた人形みたいになるんだ」


実は、この唐突に挿入されるシーンでの一人称は、「私」なのである。ここだけは、間違いなくほむらの本心が描かれていることになる。また、「私だって、いつも明るくなんかいられないよ!」「東野くんや、センパイや、アメちゃんに、笑っていてほしいって思うから頑張れるんだよ!雪の下に咲く花だなんて……どんな時でも明るさを失わないなんて、できるわけないよ!」という台詞が、ほむらの気丈さが、努力によって維持されているものだと推察できることにも留意したい。決して、彼女は天然でやっているわけではないのである。ほむらが、どうしても乗り切れない困難に直面したとき、現れるのは弱音なのか強がりなのか。それはきっと前者である。しかしほむらは、その性格から、無茶をしてでも乗り越えようとする。今回は犠牲を伴う困難とは向き合わずに済んだ。しかし、将来的にはどうだろうか。偶然だけでは乗り越えられない不幸と直面したとき、ほむらはいったいどのような選択をするのか。

ほむらと別の方向性を持っている九条は、生きる世界が違うために、あまり物語に関わってこない。私は、彼女とほむらの接点こそが、物語にとって重要な要素の一つになるものと想定していたのだが、もしかしたらユリとの齟齬を解きほぐすことの方が主題になるのだろうか。
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