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劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 感想

 映画『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』の感想です。三回ほど観直して、ようやく自分の中で感想がまとまってきたので、クリスマスだけど特に予定もないし、情報を整理する意味を込めて感想を上げてみます。特別目新しいことは書いていませんが、時間がある方はお付き合いください。

 以降の文章には表題作及び原作にあたるアニメ版のネタバレが含まれます。上映されてから既に1ヶ月以上経っておりますが、未視聴の方はご注意を。



 叛逆の物語の前半部分はアニメ版のストーリーを再構成したような展開になっています。私はてっきりアニメのエンディングと直接繋がる物語なのだと思っていたので、まずこれには意表をつかれました。まどか・マミ・さやか・杏子たちの学校に転入してきた眼鏡状態のほむら、いわゆるメガほむを交えて、アニメ本編では描かれずじまいだった5人の魔法少女達による明るくファンシーな学園生活が綴られます。思わず疑念を抱いてしまうほど毒の要素が薄く、ここだけ切り取れば日曜午前に放送されていてもおかしくないような雰囲気が溢れていて、実際見てて少し気恥ずかしくなるほど幼稚めいた展開となっていました。まさに「本編がこうであればよかったのに」という視聴者の願望が実現された形であり、もしもこのままの雰囲気が維持されたならもっと一般層に浸透していったのかもしれませんが、残念ながらそうは問屋が卸さない。

 物語が中盤に差し掛かり、この世界が魔女の力で作り上げられた空間であることが仄めされるようなってからは、がらっと空気が変わってきます。ナイトメアというキーワードはこの日常が「夢オチ」であることを暗に語っているため、察しのいい人なら裏があることにも気付くかもしれません。

 この夢のような世界は、現実世界で絶望を溜め込んで、限界までソウルジェムを濁らせたほむらが作り上げた精神世界でした。ほむらは既に魔女化する寸前まで来ており(作中ではどうしてそこまでソウルジェムが濁ってしまったのかは明言されていませんが、まどかのいない世界で戦い続けることに耐えられなくなった、ということでしょうか)、その状態のままインキュベーターによって異次元空間に隔離されていることが判明します。インキュベーターは、ほむらの精神世界に円環の理の概念が招き寄せられるように画策し、ほむらがその存在に対し直接助けを求めれば、円環の理を観測出来るのではないかと目論んだ。インキュベーターの目的が円環の理の支配であると即座に看過したほむらは激昂し(そもそもほむらがQBに迂闊なことを言わなければこんなことにはならなかったのでは?とも思いましたが)、まどかに助けを求めるくらいなら自殺してやると言わんばかりに、自分の世界を絶望で埋め尽くして自壊しようとするが、そこに円環の理の使いとしてやってきたさやか達が救いの手を差し伸べる。まどかには一人ぼっちになったら駄目だよと諭され、さやかにはなんでも一人で抱え込んでるんじゃないと叱咤激励されるほむらの姿は、まるでアニメ本編におけるまどかのようです。

 さて、初回視聴時はここまで呆けたように眺めてしまい、ただひたすら映像美に圧倒されて流されるように観賞しておりましたが、このままいけば無事ほむらとまどかは再会できそうだ、よかったよかった、となった辺りで、ようやく「ちょっと待てよ」と我に返りました。もし仮にこのまま全てが上手くいって、ほむらが円環の理に導かれることで魔女化することがなくなって、一人で絶望に苦しむことがなくなったとしても、このまま行き着くところまで行ってしまえばほむらの存在は消えて無くなってしまう。とどのつまり、彼女の人生はここで終わってしまうわけで、それって結局バッドエンドなんじゃないの?と。まどかとの再会が唯一の救いのように演出されていますが、よくよく考えてみれば、ほむらが円環の理に導かれてしまうことと、この物語が終焉を迎えることはほぼ同義であります。まどかの存在は全ての人間から忘却され、彼女が生きていた証は消失し、円環の理という世界のルールだけが残ることになる。確かにまどかとは再会できるかもしれないけれど、ここまで生きてきたほむらにとって、その終わりは救済足りえるのだろうか?と途端にもやもやし始めました。全体の幸せを取るのならこれが最善なのかもしれませんが……完全に納得のいく終わり方ではないな、と。事前に「叛逆の物語は賛否両論の作品」という評価だけは目にしていたので、つまりはこれが視聴者の間で評価の割れる要素ということなんだな、と一人納得していたところで、物語は急展開を迎えます。

 魔女化一歩手前のほむらが円環の理によって消失するその直前、ほむらにとってはまどかと直接再会出来る最後の時。周囲は祝福するように彼女らを見守り、このまま安らかに昇天してエンディング……となるのかと思いきや、横たわるほむらにまどかが手を伸ばした瞬間、ほむらは円環の理の中から生前のまどかの概念を剥ぎ取り、我が物としてしまいます。視聴者含め、全てを裏切る急転直下の展開。このまま穏やかにエンディングを迎えるのだろうと思っていたので、完全に無防備な状態で弾丸を叩き込まれた形になりました。凄まじいほどの執念と空恐ろしいまでの執着心です。呪いよりもおぞましい想いは愛、というロジックにも納得できてしまうほどに強固すぎる願いと祈り。「神」に対する「悪魔」の誕生。まさかここに至って対立構造を生みだしてくるとは予想だにしませんでした。

 ほむらはいったい何故このような行動に出たのか?物語のターニングポイントとなったのは、まどかとほむらが枯れ果てていく花畑でやり取りを交わすシーンです。一度結末を踏まえてから観てみると、ここから先のほむらはまどかの救済を念頭において行動していることが伺えます。更なる絶望に溺れていくほむらの感情と、それを助けようとするまどか達の感情は、実のところ根本から嚙み合っていません。まどか達はほむらを魔女として死なせないように行動しますが、ほむらの絶望は魔女云々というところからは既に外れてしまっています。ほむらは花畑にて、涙を流しながら「私、なんて馬鹿な間違いを…」と自分の判断が間違っていたことを認識しますが、問題はここで「ほむらは何を間違ったと思ったのか」ということ。全体を踏まえて想像するに、「やはりまどかの願いを叶えさせたのは間違いだった」と考えたのでしょう。何故そんなことを考えたのかと言えば、まどかが「ほむらの言うような世界(≒一人ぼっちの世界)で生きて行くのは泣いてしまうくらいに辛いこと」と告白したからです。ほむらは、まどかの叶えた願いには少なからず自己犠牲の側面があって、痛みや辛さを伴うものだと知ってしまいました。その結果ほむらは、まどかが完全に救われていない世界なんて糞食らえだと思うことを、自らに許してしまったのだと思います。

 「輝きと後悔だけしかもう思い出せない」。ほむらが精神世界で魔女化する直前に残したこの台詞は、絶望を抱えて魔女になってしまったことへの後悔ではなく、まどかの願いを叶えさせてしまったことへの後悔の言葉でした。まどかの本心を引き出し(てしまっ)たことで絶望してしまった、まごうことなきほむらの本心です。

何よそれ……。これがまどかの望んだ結末だって言うの?こんな終わり方であの子は報われるの!?冗談じゃないわ!これじゃ死ぬよりも、もっと酷い……酷い……


だからって、あなたはこのまま、帰る場所もなくなって、大好きな人達とも離れ離れになって、こんな場所に一人ぼっちで永遠に取り残されるっていうの?


 そもそもアニメ本編のエンディングにおいて、ほむらはまどかの取った行動に対してかなり懐疑的でした。自分の身を犠牲にしてまで全ての魔法少女を救済することがまどかの本当の願いなのか。真実を知らせてしまったことで無理やりこの状況に追いこんでしまったのではないか。未来永劫、神様として孤独に過ごすことが幸せと言えるのか、と。それでもほむらは、現実にまどかはいなくなってしまったし、いなくなってしまった以上はどうしようもないし、それがまどかの願いなら仕方ないじゃないか、と渋々ながらに受け入れたのだと思います。たとえまどかが自分の傍からはいなくなっても、それがまどかの願いだというのならば仕方ない……と、まどかの行動を受け入れ、まどかが愛した世界を守ろうと努力することにした。意地悪く言えば、ほむらにとっての理想的な結末とはならなかったけれど、こうなってしまった以上はまどかの意思を尊重するしかないので、自分の願いを妥協して、現実と折り合いをつけようとした。しかし、それは「まどかの願いなのだから仕方ない」という大前提があって成り立つ諦念であり、そこに「まどかの弱音」というファクターが加わると一気に話は変わってきます。まどかのいなくなった世界を心から受け入れていたわけではないほむらにとって、「まどかは今も我慢して神様の座にいるのかもしれない」という材料は、自身の判断にヒビを入れるのには十分すぎるものだったに違いありません。

 こう考えてこの物語を見直せば、彼女の行動はずっと一貫していることがわかります。最後の彼女の行動も、斜め上どころかむしろ必然。ほむらは、魔女化する自分を助けるべく仲間達が尽力することも計算したことでしょう。ほむらが精神世界から脱出して周囲を見回した時、誰も自分の思惑に気づいていないことを見て、彼女は内心ほくそ笑んだに違いありません。ああ、これで私はまどかのいた世界を取り戻すことが出来る、と。

 「私の願いはこうだ」と言っている人に対し「あなたの本当の願いはこれだ」と押し付ける。まどかの同意を得ぬままに取られたほむらの行動は、当人からすれば善意の押し付けに過ぎません。ほむらはまどかに対する判断について迷いを捨て、自分の正しさを信じることにしたのでしょうが、その意思の強さとは反比例して視野が狭くなっています。他人の掲げる願いがその人にとっての本当の願いなのかどうかなんてことは、きっと当人にだってわかりません。その願いがその人を幸福にするかどうかなんてことはもっとわかりません。それは誰にも判別がつかないことで、絶対的な正しさというものは存在しないのではないかと。実際にまどかは円環の理となって魔法少女達を救うことを願ったのであって、本来ほむらがどうこう言える筋合いではないはずです。どんな状況下にあったとしても、最後の決断はまどかが下したのであり、他者がそれを無下にする権利はありません。それでも、ほむらは自分の考えが間違っていないと貫き通すことにしました。私としては、そのことに対する葛藤があったのかどうかは微妙だと思いますが、だからこそほむらは心底まどかを救うことを願っているのだとも言えます。ほむらは、何ら迷うことなくその願い以外の全てを切り捨てた。この物語は、「ほむらがまどかを助けた」のではなく、「ほむらがまどかのために世界を再構成した」のでもない。ほむらは、あくまでも自分の願いを叶えるためにまどかを助けたのであり、まどかの意思よりも自分の意思を優先し、自分の願いを叶えるために他人の願いを踏みにじった。ほむら曰く、愛ゆえに。

私は要さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。


 それも当たり前といえば当たり前なのかもしれません。彼女がソウルジェムに祈った願いは、まどかを助けたいとか、まどかを幸せにしたいとかではなく、自分を変えること。勿論、まどかありきの願いではありますが、願いの主体となっているのはあくまでも自分。ほむらが何がなんでもまどかを救ってみせると誓ったのはその後何度かのループを経てからのことですが、根っこのところには「自分がまどかを救う」という願いが潜んでいます。

約束するわ。絶対に貴方を救ってみせる。何度繰り返すことになっても、必ず貴方を守ってみせる!


 そんなほむらにとって「まどかは円環の理になったことで悲しみや辛さを抱いてしまっているかもしれない」という可能性は、何よりの拠り所になったのではないでしょうか。全(魔法少女)を救うことよりも個(まどか)を救うことを選んだことは必然と言えます。その全の中に自分自身が含まれていなくても疑問はありません。ほむらにとっては、まどかを救い続けることだけが最後の願いであり、もはや後戻りすることは出来ないところまで来てしまったのだから。

静かに寄り添って 何処にも行かないで
窓辺で囀って 何処にも行かないで


 これは「君の銀の庭」からの引用ですが、実のところはこれがほむらの本当の願いだったのではないか、と思います。自分から離れないでほしい。どんな形でもいいからとにかく傍にいてほしい。ただ傍にいてくれればそれだけでいい。しかしほむらにはそれを直接言うだけの勇気はなかった。そこまで直接的なエゴをぶつける機会を得ることもまたなかった。その結果が最後の悪魔化に繋がったものと思われます。涙を流しながら「やっぱりあなたの方が似合うわね」と言ってリボンを返し、まどかから与えられた世界を拒んだほむらは、かつての輝きと後悔を抱きながら、己の信じる道を歩き続けることでしょう。



 以上です。幾つか感想を拝見しましたが、どうやら私の感想と世間一般の感想にはそう大きな開きはないようです。ただし、この物語に対する受け取り方については肯定派と否定派に分かれていて、最高に独善的なハッピーエンドと捉えるか、最悪に欺瞞的なバッドエンドと捉えるかで割れている様子。もっと全体が救われる体裁であってほしかったと望む人と、いやいやこの結末こそが当然の帰結なんだよと受け入れる人とで分かれているように見受けられました。この物語が全体にとってのベストではなく、ほむらにとってのベストを選んだ以上、そうなることはやむをえないことかと思われます。私は満たされぬが故の渇望が原動力となる物語を好む傾向にあるため、ほむらの狂気じみた執着を肯定できましたが、だからといって否定派を否定しようとも思いません。というよりも、この物語に賛否両論があることは望ましいことでしょう。この作品が全肯定されてしまうことは社会的には不幸なことであり、ほむらの行動が自分勝手な独りよがりと批判されることはむしろ健全なことだと思われます。
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