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電気サーカス 感想

 唐辺葉介著『電気サーカス』の感想です。、以下の文章には本編のネタバレを多分に含みますので、作品未読の方は十分にご注意ください。



 今作の舞台となるのは、インターネットへのアクセスの主流がダイアルアップ接続だった時代です。テーマはずばり『ブログ公開』であり、フリーターと引きこもりの間をゆらゆらと行ったり来たりしている駄目人間がブログ更新を日課とする傍らで、インターネットの住人たちと交流を重ねて楽しく()過ごすお話。かくいう私も斯様に感想ブログをやっておりますので、これは自分にとっても痛々しいシナリオになるのでは、と身構えながら読み始めましたが、別段レビュアーやブロガーの承認欲求を攻撃せんとするような趣旨の内容ではありませんでした。ブログを公開しているという事実は、不特定多数の人間との出会いの場を設けるための舞台装置として機能していますが、これが『ブログ公開』である必然性があったかどうかは微妙なところです。単純にネット上の人物との交流を描くためだったのなら、掲示板がテーマでもよかったと思いますし、このテーマが十分に生かされていたとは言い難い。というのも、ブログ記事をアップしている描写はされつつも、それが具体的にどのような記事で(たまに概要は描写されますが、そのほとんどが作中の展開とは関係のないところで動いている)、どのような反響を産んでいて(ブログを読んだ人からメールが来たとか、ブログを通じてSNSでやりとりをしている、というような表現は多数あるのですが、掘り下げが甘かった)、どのような影響を与えているのか(ブログ記事が他人に影響を与えるなどと考えることはおこがましいという自戒込みなのかもしれませんが……)、全くはっきりしないからです。主人公自身が無関心であることもその理由に挙げられるのだと思いますが、もっとブログの存在そのものについてクローズアップしてもよかったのでないでしょうか。ただ、ブログ関連の描写が物足りなかった代わりに、インターネットを利用する人々との人間関係、という点については十分に掘り下げられていたと思います。ここで登場するキャラクターが、誰も彼もろくでもない人間として描かれているのは、作者の偏見じゃないかという気はしますが……。また、「古典文学」「ドストエフスキー」「RPG」「酒」「家族間の不和」「希薄な人間関係」「キリスト教」「ドラッグ」「鬱病」「精神病院への入院」「自殺未遂」といった、これまでの作品で頻繁に扱われていた題材が余すことなく詰め込まれていることから、作者にとっての集大成といった趣がありました。これは逆に言えば、あまり代わり映えせず新鮮味がない、ということでもありますので、一長一短です。



 以下は各章ごとに感想を書いていきます。
 第一章では、主人公一家が離散してバラバラになるところからスタートし、のっけから不幸な展開が続きます。母は父が正気を失ったことを契機に離婚を決め独立、父は父でどこかへ消えてフェードアウトしてしまい、今後もちらほらと登場する母とは違って一切登場しません。相変わらず、家族関係というものに対し徹底的に懐疑的なスタンスを取っています。主人公は父が残した家で、自身の日記サイトを更新しながら居酒屋仕事をし、仕事で溜めた資金を元に新天地へと旅立っていきます。ここまではまだ、多少の悲観がありながらも彼には新しい未来があるかもしれない、と思わせてくれるのですが、残念ながらそう上手いことはいかず、当然のように主人公は不幸を積み重ねていきます。

 第二章では、高校時代からの友人とルームシェアを始め、カラオケでバイトをしたり、ブログ繋がりのオフ会に参加したりします。この段階ではかろうじて社会性が残っており、カラオケを足がかりにして社会との関わりを広げていくのかなと思っていましたが、この主人公はあまりにもあっさりとバイトをやめてしまいます。特に明確な理由がないあたり、人生舐めてます。そんなわけで、実際に物語のメイン軸となるのはオフ会から得られる繋がりの方です。親からネグレクトを受けているらしいメンヘラ中学生の真赤と出会った主人公は、彼女を救うためにルームシェアの部屋に来ないかと誘います。もし私が作中の彼らに声をかけることができたなら、いの一番にこういったでしょう。いますぐ馬鹿なことはやめろと。思い留まるべきだと。無職で甲斐性も未来もない主人公に彼女を幸せに出来るはずがないし、同時に同じような状況にある彼女が主人公を幸せに出来るはずもない。主人公はあまりにも弱くて脆く、些細なことで傷つくし、些細なことで苛立つし、およそ責任感というものを持ち合わせていません。何より救われないのは彼がそれらに無自覚であるということ。彼は最後まで自分の弱さに気づくことはなく、だから当たり前のように真赤は彼らの性欲の捌け口となります。明確に描写されてはいませんが、多分行間では適当に抱かれていることでしょう。主人公は自分にとって都合の悪いことは語りませんので、事実はわかりませんが、否定する理由がありません。

 第三章では、主人公の思い描いた明るい未来が、ものの見事に崩壊してしまった後のお話が描かれます。第二章のラストで、主人公の現実は綺麗な暗黒に染まったわけですが、当然ながら理想が崩壊しただけで世界が終わるなんてこともなく、何事もなかったように彼らの日常は続きます。主人公はアルコールと薬漬けになり、見る間におかしくなっていきますが、真赤との楽しくも救われない同居生活は続くし、彼らのルームシェア生活が終わったりもしません。主人公と真赤の関係も深刻な共依存へと進んでいき、ただだらだらとその場しのぎの生活を送っていく。後半の方になって主人公が「これは忌まわしき共依存というやつだ」としたり顔で述懐していますが、いやいや君達は関係が始まった最初の段階から共依存ですから、と諭してあげたくなります。道化を気取る主人公の姿はあまりにも哀れです。

 第四章では、それでも続いてしまっていた主人公と真赤の関係の終焉を描きます。きっかけは主人公が真赤に暴力を振るうようになったことでしょう。二人の関係は、これまでだらだらと書かれていたことに比例せず、そっけないほど簡単に打ち切られてしまいます。驚かされるのは、主人公が真赤との関係に縋りついたり、その後も必死で再会しようとしたり、最後には自殺しようとしたりするところです。その見苦しさたるや醜悪という他ありません。真赤には僕のいない幸福を手に入れて欲しいだのなんだのと、色々と格好つけていたけれど、全て口だけだったことが露呈します。結局のところ、彼は末期的な状況に至るまで一歩目を踏み出すことができなかった意志薄弱の青年であり、悲しいくらいに溢れている病んだ人の一人に過ぎません。

 エピローグは、主人公がこれまで飼っていた文鳥を埋葬するシーンで締められます。これまで延々と書かれていた真赤のことはほとんど出てきません。いや、文鳥の埋葬が真赤との日々を締めくくっていて、真赤が作品全体における後悔の象徴だったことはわかります。文鳥の埋葬をもって主人公は一つの区切りをつけたんだということも。でも、じゃあこれから主人公はどうなるの?と言われれば、答えに困ります。だって彼は、ようやくスタート地点に戻ってきたところであり、これまでの立ち位置の確認をやっただけなのですから。



 これは作品に向けた感想というよりも、作者に対する率直な疑問なのですが……、なんで今更こんな話を書いたのでしょうか。これがフィクションだということはわかりますし、あくまで物語は物語ですので、現実と混同したりはしませんが、だからといってこの作者が書いた作品が完全に現実から切り離されたフィクションだとも考えにくい(これがその第一作なんだよ!と言われれば、返す言葉はありませんが……)。唐辺葉介という作者は、かつてはエロゲライターだったわけですが、今作はエロゲとしての最終作品であるキラ☆キラで描かれたものよりも後退してしまった……というか、それ以前の段階を描いている作品だと思います。そのキラ☆キラにて、作者は時間の経過が人を癒すということ、自身が大丈夫になったという実感を描いてきました。読者を置き去りにしたまま歩き出してしまったことについては未だに含むところがありますが、現実に作者は先を見据えて歩き出した。過去を断ち切ったとまでは言わないまでも、過去を過去として思える程度には回復したはずなのに、どうしてまた昔に逆戻りするようなお話を書いてしまったのか。

 今作はまとめれば、世界を舐め腐って適当にだらだらと生きている子供が、私生活でも仕事でも、失敗を積み重ねて破滅していきながらも、最後には意外となんとかなって、順当に社会復帰していく、というお話です。この畳み掛けるような不幸の連続は、作者の恣意的な悪意の産物であり、たとえ物語的な必然性はあっても、強烈なリアリティを与えるまでには至らない。SWAN SONGがまさしくそうでしたが、無理やり不幸な展開に持っていかれると、いやがうえにも「作られたお話」であることを意識させられてしまいます。予定調和の不幸では「これぞ現実」と感じることはなく、むしろ「どうせフィクション」と冷めてしまいます。もしかしたらそう割り切れる方が健全なのかもしれませんが、私が物語に求めているものは違います。

僕は完全な道化になってしまったわけだが、ただ、もし仮に僕が当初想定していたような経緯で物事が解決されていたとしても、僕をとりまく状況は何も変わらなかったのかも知れない。他人を救済して、それで自分の欠損を埋めようという考え自体がまるきり見当外れなのだと、今なら理解できる。
他人を本質的な部分で救い出すなどということは、はなから出来るものではないし、仮に他人の再生に手を貸すことが出来たとしても、それによって自分の致命的な何かが解決するなどという、虫の良い話はありえない。それは結局自分自身の成長によって人生に織り込んでゆくしかないのだ。


 これは今も本気でそう思って書いているのか、それとも昔の名残をありのままに書いているのか、いったいどちらなのか。私は後者であることを祈っておりますが、もしも前者なのだとすれば随分と酷い話じゃないかと思います。自分の作品を読んだ読者が救われたり感動しても自分の問題は解決しないよ、と言っているに等しいわけですから。

見たまえ。僕らのサーカスはここに終わりを告げた。猛獣もピエロも役割を終えて店じまいをしている。色鮮やかなテントは畳まれ、まっさらな跡地に風が吹いている。僕の知らない場所ではもう新しいショーが始まっているのかもしれないが、それを楽しむのは、まだそれを見たことがない、新しい人々だ。僕らの知らない、若々しい人々だ。


 この作品は、言外の意図が存在すると捉えるかどうかで評価が変わってくると思います。そして、私は言外の意図があるだろうと捉えました。この文章は作品全体を象徴しているものだと判断しています。どんなサーカスであろうとも、いずれは幕が下ろされて、店じまいされてしまう。それは避けようのない現実です。作者はひょっとしたら、一連のサーカスを見せることで、読者にも楽しんでもらおうと思ったのかもしれません。でも、一方的に見せ付けておいて、後はさっさと切り上げておしまい、だなんてあまりにも素っ気無いじゃありませんか。そりゃあ、猛獣とピエロが演目に入っていれば、どんなサーカスでも楽しめる人もいるでしょう。サーカスが好きで好きで仕方ない人は、目の前でサーカスさえ開かれれば満足できるかもしれません。でも、サーカスだからというだけで楽しめるって人はどちらかといえば少数派で、多くの人はその中身まで吟味しているはずです。面白おかしく騒いでいるのを眺めればそれで満足、そんな風には思わない人がいることも意識して欲しかった。

 この作品が作者なりの決意表明なのであればいいと思います。こういう不幸で彩られた物語を書くのはこれで最後で、今後は絶対に不幸をばら撒くような物語は書かないぞ、という記念碑的な作品なのであれば。ブログを見る限り、まだ作品を発表する意思はあるようですし、その機会も残っているようですので、次の作品はもっと違うものであるようにと願って止みません。
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SAIN455

Author:SAIN455
漫画、ラノベ、ゲームなどのネタバレ感想記事を書いています。ネタがあるときはコラムみたいなものも書きます。あとアマゾンアソシエイトに参加してます。以下定型文。「このブログはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」

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