母の遺産―新聞小説 感想

 水村美苗著『母の遺産―新聞小説』の感想です。個人的には私小説と本格小説で馴染み深い作者であり、今作は長らく発売を切望していた作品でした。

 以下長文となりますので、続きを読むからどうぞ。




 せっかくなので、まずは既読の過去作から紹介します。

 『私小説』はアメリカで終始自宅に引きこもって生活している著者の日常風景を日本語と英語を入り混じえた文章で描いた作品で、タイトルどおりの私小説となっています。左開きの横書きという一風変わったフォーマットを採っており、日本の小説ではなかなかお目にかからないこだわりを感じる形式になっている。著者の日本への郷愁と、言語に対する意識が見て取れる意欲作です。日常描写が淡々と続くため、物語の構成そのものにはそこまで惹かれませんが、著者の人物像そのものに惹きつけられてやまない作品でした。

 もう一つは『本格小説』。こちらは内容の説明が難しいのですが、言ってしまえば、著者が見聞した「まるで小説のような体験」を、実際に小説として書き下ろした作品ということになります。具体的には、著者の人生とはわずかにしか交わることがなく、ほとんど関わりが無かった東太郎という人物の人生を、彼と直接的間接的に関わってきた人々の視点から物語っていくという展開。度々エミリーブロンテの嵐が丘のオマージュと評されるので、読んだことがある人はそれをイメージすればよいのではないかと。事実作者は嵐が丘に並々ならぬ思い入れがあるみたいなので、その感想も間違いではない様子。とりあえず読んでみて欲しいと言いたいところですが、新潮文庫で上下巻合わせ1200Pあるので気軽にオススメするのも難しい。しかも、最初の60Pくらいまでは展開に起伏がなく、(著者の分身である)私の現況を述べているだけなので、いまいち読み方がわからないというか、いったいどんな感じでこの小説にどう取り組んでいけばいいのか、作品との距離感に戸惑ってしまい、その上その生活描写があまりに淡々としているため、積極的に読み進めていきたいという意欲が沸いてこないから困りもの。最初からここが前置きだと作者から言われてるので、なんとも言うことが出来ないのですが、それにしたって最初は退屈だったというのが正直な感想。そこを乗り越えて、東太郎について深く掘り下げるようになってきてからが今作の真骨頂であるため、まずそこを乗り越えられるかどうかが一つの壁になると思います。この作品はそこから加速度的に面白くなっていくので、なんとかそこまで耐える必要があります。物語性もさることながら、現実かフィクションか、どこまでが事実で真実なのか、私小説のように、まるで現実のように述べられてきた物語に対して、最後の最後で懐疑を呈するという作者の意欲に満ちた作品。あの笹薮には言葉にできない衝撃があります。小説の醍醐味を惜しみなく発揮した作品であり、まさにタイトルにふさわしい作品だと思ってます。奔流のように溢れ出す小説の物語性を味わいながら、現実と虚構に揺れ動かされる酩酊感にぜひとも浸ってほしい。





 前置きが済んだところで、本題の母の遺産の感想へ。ストーリーを大きく分けると、前半が死んだ母の思い出語りで、後半が不倫した夫との結婚生活を振り返りながら自分の人生を冷静に考察していき、最終的には離婚を決意するという展開となっています。病的なまでに自分勝手だった母に最後まで悩まされた挙句、夫には自分より若い女に乗り換えられ、あまつさえ今まで住んでいた住居からも転居することになり、中年女が一人で生きる決意を抱くまでの過程を描いた、全体的に暗いお話です。

 冒頭では、母の死後、遺産整理について姉妹で話し合う美津紀と奈津紀の姿を描きます。のっけから気鬱で重苦しい展開です。そもそもからして帯の煽り文句が「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」であり、明るく楽しく朗らかな物語を期待する人は少ないとは思いますが、それにしてもいきなり生々しい。昨今のニーズに真っ向から反しています。

 登場人物のモチーフは、これまで刊行してきた作品と同じく著者の水村美苗とその家族であると思われますが、今作では過去作とは違って、人名の表記が変えられていいます。新聞小説というタイトルから察するに、これまでの作品からは趣向を変えてフィクション性を強め、リアリティよりも普遍性を追求した結果なのではないかなと。特に母については終始表記が母・ママであり、名前が明記されないあたり、普遍性を生み出そうとする意図を感じました。もしくは、自分の分身ともいえる水村美苗の名前を使うには、話が生々しすぎると判断したのかもしれません。

 物語の構成は、まず現在を描いてから過去を回想していき、徐々に世界観を補完していく形になっています。母が老衰していく少し前、まるでこの世の不幸を背負わされているかのように、家族関係の不和が美津紀を苛み、母のわがままが、夫である哲夫の浮気が、姉である奈津紀の自分本位な生き方が、美津紀の人生を翻弄していく。美津紀は、これまで自分が不幸だと思うのは筋違いだと思っていましたが、ことここにいたっては、私は不幸なのだと認めてしまいます。こんな中年女は不幸でしかない、と。

 骨折をして入院することになり、気弱になった母。歩行困難であると医者から告げられ、死に損なったとしくしく泣く母。弱っていく母を見て、美津紀は次第に母の死を願うようになっていく。ママはいったいいつ死んでくれるのか、と。母は自身の体が思い通りにならないことを思い知り、老人ホームへの入居を決め、そしてそれを契機にまるでたがが外れたようにおかしくなっていく。息が詰まるような閉塞感に、思わずこちらも気が塞ぎそうになります。

 花を持って見舞いにきた美津紀の夫である哲夫が10分もせずに帰ったのをみて、見舞いの花を捨てるように言う母。美津紀が哲夫の浮気に感づいている以上、美津紀と哲夫の二人の関係はどこかよそよそしく、また母も美津紀も、哲夫がどこか浮ついていることを感じている。美津紀は既に哲夫の火遊びを確信しているし、頭が悪くなった母も直感的に勘付いている。

 本当なら、ここで二人がお互いの気持ちを確かめ合って、絆を深めるのが王道な展開といえますが、しかし美津紀がその母の姿を見て抱くのは共感ではなく、絶望です。

 母は自分の言葉に煽られ、いよいよ我身の不幸を感じたらしい。声を突然荒げた。
 「殺してちょうだい!こんなんなって生きてたってしょうがないから、殺してちょうだい!」
 起き上がれないので上体をよじるようにして叫んでいる姿を目に、美津紀も声を荒げた。
 「ママなんか殺して、殺人罪に問われて一生を台無しにしたくないわよ!」


 これほどまでに母親の存在に対して無慈悲であり、冷酷である小説というものも珍しいでしょう。世界には、親に対しては優しくしなければならない、無償の愛を捧げなければならない、という社会常識、あるいは不文律が当たり前のように存在しています。少なくとも、私の生活している世界では、親を冷遇するなどということは、常識的に考えてありえないことです。だというのに、この作品は読者をあっさり突き放します。老齢であり、社会的弱者である母親が負担であることを隠そうともせず、また殺意を抱いたことがあることも否定しません。そこにあるのは、寒々しく渇いた打算です。

「もう、こうなっちゃったんだから、前向きに生きるよりしかたないじゃない」
 老いを前に、真の救いをもたらしうる慰めの言葉は困難である。よほどの愛情がないと困難である。母も美津紀の困難を感じたのか口を閉じた。


 美津紀は決して、自身が吐き出した母への感情を否定しないし、また謝罪もしません。なんて光の差さない物語なのか。希望、未来、光、そういったきれいで前向きな言葉からはほど遠い場所にこの物語はあります。ここで一番救いがないのは、互いが互いに、それぞれの形で、心の底から愛し合ってはいないことを、悟っているということです。

 何故美津紀がここまで母を恨むのか、それには一応理由があります。姉ばかりが優遇されて自分がほったらかしにされ続けた過去や、病的なまでの傲慢さにつき合わされて迷惑をかけられてきたこともその理由の一つですが、一番の理由は、母が糖尿病にかかり入院生活を送るようになった父を見捨てたことです。しかも病院に放り込んだまま見捨てたのは、別に世話が面倒だったから、ではありません。まだしもそのほうが救いがあったかもしれない。ただ、母に新しい男ができたからです。不要になったから、邪魔になったから捨てた。ただそれだけです。

 どんなに、父のために、父に死んで欲しかっただろうか。


 それは本来禁忌とも言っていいはずの感情なのに、この小説には残酷なほど家族の死を望む想いが満ち溢れています。幸せに満ち溢れた家庭、なんてものが幻想であるかのように、口にしてはならない言葉を容易く文字にしてしまう。肺炎にかかり、入院する母の病状に一喜一憂する姉妹には、目を背けたくなる人間の生々しさが溢れています。

 母がこの世から消えるのに最適な「時」などというものは、果たしてあるのだろうか。


 人は死ぬタイミングによって、悲しまれたり、憎まれたり、安堵されたりします。誰からも悲しまれない死というのは寂しいものかもしれないけれど、案外、それはそれでよいのかもしれないな、と思いました。それは、存分に生きたということなのかもしれないから。

 ママのこと嫌い?などと訊かれながら、あと一か月、二か月と永らえられたらどうしたらいいのか。
 死なない。
 母は死なない。
 家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいて、その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
 ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?


 この壮絶さすら感じさせる独白の後、ようやく母は死に、ついに美津紀は母に縛りつけられた人生から開放されます。母が死んだあとの美津紀は、なんといえばいいのか、落ち込んでもいるようにも、疲れているようにも見えず、特段変なところも見当たらないのですが、しかしどこかしらテンションが狂ってしまっている。そんな美津紀は、区切りのついた自分の人生を見つめなおすため、一人ホテルへ旅行に出かけます。多少の不吉な兆しを見せながら。

 ちなみに、このタイミングでタイトルの意味がようやく明かされるのですが、母の遺産がまさか現金のこととは思いもせず……。ここまで書かれて綺麗事を言うつもりはないのですが、普通の人なら、母との思い出とか、母の残した遺品とか、そういったものを想像するんじゃないでしょうか。母の遺産は、3680万ですか……。





 美津紀が向かったホテルには4人の長逗留者が集まっていて、彼らはそれぞれが自殺志願者でした。パリで長い時間を生きてきた老婆と、最近ガンで妻を亡くした研究者と、生きることに飽いている若者。美津紀は彼らとそれぞれ交流しますが、若者と美津紀の会話シーンは特に冷たくシニカルで印象的です。

「だって、生きてるって、それだけで疲れるじゃあないですか」
 聞いているほうの生きる気が萎える物憂い口調だった。褐色がかった眺めの髪の毛が、ほどよい波を描いている。こんな厭世的な台詞を吐きながら、美津紀など恥ずかしくて入る気もしない床から天井までガラス張りのまぶしい光を放つ美容院で、髪を染め、あれこれいじってもらったりするのだろうか。


 痛烈に皮肉的な言葉だと思います。死にたい死にたい言ってるやつが、なんだかんだご飯は食べるし、寝るし、オナニーするし、糞もするのと同じですね。著者が現代、若くして自殺を志願する多くの人間を達を冷淡に見つめ、静かに冷笑している様子が感じ取れます。

 そんな自殺志願者たちと交流しながらも、美津紀は本来の目的である、自身の人生への考察を始めていきます。母に悩まされた人生に区切りがつき、今度は哲夫との結婚生活に対し、懐疑と結論を積み重ねていく美津紀。感情的にならないわけではないが、不倫相手の心情心理、生活環境、本気度合いなどを冷静に検討し吟味していく姿に畏怖を感じます。清清しい爽快感、なんてものは当然得られず、ただただ虚しさだけが募っていく。歌を歌うことが好きだった美津紀の、歌を聴かずに側を離れていく哲夫の姿が、互いの距離感を示している。あたしは愛されなかった、どうして?と繰り返す美津紀の姿にはなんともいえない哀愁を感じます。

 哲夫はふだんは優しい夫だった。美津紀が風邪で寝こめば白いお粥の上に大きな梅干しを載せてベッドまで運んでくれた。それなのに、どうして?と思うことが続いた。どうして?と実際に訊くことも幾度もあった。だが、どうして?と思うことが多くなるうちに、訊く頻度が減っていった。愛されていないと思いたくなかったので、哲夫のための言訳を美津紀が先回りして考えるようになった。


 哲夫の浮気を知った場面を描いた場面からは、美津紀の結婚への後悔だけが見て取れます。時間の流れは残酷です。現在の惨めさ、現在の不幸さを述べてから、過去の幸福を語るこの構成は非常に効果的です。だからといって、過去そのものを否定しなくてもいいだろうに、と思います。しかし、美津紀は己の人生の否定をやめることができない。

 しかたがない……。あんな母親の下に生を受けてしまい、精力を吸い取られて生きて行かざるをえないのだから、しかたがない。そう自分に言い聞かせてつつも美津紀はどこか釈然としなかった。あの日、無数の蝋燭が小さな星のように煌くパリの屋根裏で、哲夫は色々と誓ったではないか。あれは、結婚したら美津紀の望むものを、何よりも何よりも、優先させるという誓いではなかったか。あの煌く星はどうして消えてしまったのか。
 哲夫は、あんな母親の下に生を受けてしまった美津紀に、一番肝心なところで救いの手を差し伸べようとしはしてくれなかった。
 どうして?


 ここが作品を通して一番印象に残った場面です。あの時、煌く星は間違いなく存在していたはずのなのに、気づけばその星はどこかへ消え去ってしまう。その瞬間には、間違いなく確かな愛があったはずなのに、時間が経ってしまった、ただそれだけで、愛は喪われてしまう。愛は、永遠ではなく、その一時を流れる感情であるということを、残酷なまでに示しています。もちろん、時の流れは悪いことだけをもたらすわけではありませんが、この作品では、その無慈悲さが特に際立っています。

 はっきりと言ってしまえば、美津紀は他人にあまりに多くのものを求めすぎだと思うし、その欲求に値する愛を他者に与えてられているのか、疑問に思うところがあります。他方では、そもそも親やきょうだいや配偶者といった家族に、ここまでの愛を求めることが、正しいのか間違っているのか、いったいどうなのかという疑問があります。つまり妻であっても夫であっても、遠慮はしなくてはいけないのかどうか、ということです。今作は男女関係についてかなり懐疑的な立場を取っています。美津紀が他人に対して責任を押し付けている、自分勝手なわがままを言い過ぎている、という考え方は当然あるでしょう。また、美津紀は他人からの期待に応えられているのか、という疑問もあります。美津紀は「私は愛されなかった」と繰り返し述懐しますが、それでは美津紀は相手が求める以上に愛したのか、自分が愛だけを求めるのはいかにも傲慢ではないか、と考えざるを得ない。確かに始まりは哲夫が永遠の愛を約束したのかもしれませんが、所詮気持ちは移り行くものであり、それを同じもの、できる限り同じものにとどめようとする努力もしなければならないのではないか、と。

 やがて美津紀は離婚を決意し、周囲の人々にその決心を打ち明けていきます。恐らくこれは、自分の逃げ場をなくすための行為だったのだと思います。奈津紀からは冷水を浴びせられながら、それでも美津紀は決心を翻すことはなく、冷静に離婚後の生活を見据えて計画を立てていく。生活に贅沢を含んでいるのは女性ならではなのか、この辺は共感できない部分でした。東京から離れようという選択肢がないのも、です。



 この物語は、桜を眺めて地震のことを回想しながら美津紀の新しい人生が始まるところで終わります。この小説が完結したのは2011年4月のことであり、あの悪夢のような地震が起きた直後のことです。そのため、時期的にはかなりタイムリーであったことでしょう。新聞という媒体を使って連載していたわけですから、著者としても触れずにはいられない部分だったのでしょうが、いかんせんその使われ方が浅く、たまたま地震が起きたから書いたのでないかと感じてしまい、個人的にはかなりの不満が募りました。

 別にこの作品は、明確な救いを描いたわけではありません。確かに、美津紀は母の死をもって哲夫との離婚に踏み切り、新たな人生へと歩み出しました。新居で彼女は幸せをかみ締めながら桜を眺めます。でも、この後もずっとその幸せが続くのか、この解放が永遠の幸せを生み続けるのかといえば、そんなことはないでしょう。だって、彼女が一人になってしまったことに変わりはないのだから。それでも美津紀は離婚を決断し、一人で歩く新たな道を選んだ。その選択が、この作品で一番美しいところではないか、と思っています。この先、美津紀がどのような人生を歩むのかは未確定です。彼女が死を迎えるときには、きっと幸せでありますようにと願わずにいられません。



 まとめます。読み応えのある一本でした。数年に一冊、こういう本が読めれば幸せです。恐らく、読者それぞれの立場によって感想が異なるタイプの作品でしょう。それは、この作品が人間の本質というか、本来あまり見たくない、できれば目を背けて済ませてしまいたい部分に、焦点を当てすぎているからです。もちろんエゴイズムだけを描いているわけではないし、このエゴは人間の一側面に過ぎないところではありますが、昨今ではあまり熱心に描かれない部分です。なので、読書には明るく楽しい時間を求める人や、なんでフィクションで暗い話やバッドエンドを読まないといけないの?という意見を持つ人にはあまりオススメできませんが、逆に重厚で読み応えのある作品を求める人にはオススメしたい一品であります。

 私の記憶が確かなら、この作品は2009年頃から発売することはわかっていたはずで、実際に連載が始まった2010年からずっと単行本の発売を待ち望んでいましたが、本当に待った甲斐があったと思える作品でした。次の新刊にもまた10年待つことになるのか、それとももう新刊はないのか、わかりませんが、また次の作品が出ることを望みます。
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漫画、ラノベ、ゲームなどのネタバレ感想記事を書いています。ネタがあるときはコラムみたいなものも書きます。あとアマゾンアソシエイトに参加してます。以下定型文。「このブログはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」

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