WHITE ALBUM2 感想

 Leafから発売中に18禁ビジュアルノベル WHITE ALBUM2 introductory chapter及びclosing chapterの感想です。メインライターは丸戸史明(with 企画屋)。代表作に『ショコラ』『パルフェ』といったメイドカフェを舞台にした作品や、学生寮での青春を描いた『この青空に約束を―』等があります。これらはどちらかといえばキャラ先行型のシナリオであり、いわゆるキャラゲーを描くのが得意なイメージの強いライターです。



 以下、作品本編のネタバレを多量に含みますので、未プレイの方は十分注意してください。また、予想以上に文章量が膨れ上がってしまい、いつも以上に支離滅裂な文章となっておりますのでご注意を。主観的な表現に満ち溢れた文章であり、客観的な評価を知りたい人はブラウザを閉じるか、戻るボタンをクリック。

(なお、引用文には多数省略があり、原文そのままではないことが多々あります。予めご了承ください)






 まずタイトルがナンバリング作品になっていることから説明しておきます。今作は1998年にLeafから発売されたWHITE ALBUMという作品の続編になります。WHITE ALBUMは大学生の主人公と駆け出しアイドルである彼女とのすれ違いから人間関係が泥沼化していく恋愛物語です。彼女持ちの状態からシナリオがスタートするエロゲとしてはなかなか珍しい設定を持つ作品であり、浮気が全体のコンセプトになっています。攻略キャラも6人とそこそこ多めで、いわゆる修羅場属性を備えた作品です。回りくどく暗喩表現に溢れた文章がとても印象的で、直截的に描かれない婉曲な心情描写は一見の価値があります。あとは1998年当時の作品としては珍しくボーカルソングが3曲収録されています。作中にも深く絡んでくる曲ということもあり、どれも印象に残る曲でした。今聞けばさすがにチープ感があることは否めませんが、メロディーは十分キャッチーで耳に残る。システムは恋愛シミュレーションがベース。基本的にイベントがランダム発生になっているため、全イベントをコンプするにはなかなか骨が折れる。というか既読率表示があるわけでもないので、全文読むのは相当難しいのではないかと思います。何週も楽しんでもらうための手段だったのかもしれませんが、純粋に物語だけを楽しむタイプにはあまり向いていなかったかなと感じた記憶があります。あとイベントがランダムに発生するせいで、シナリオの配列がいまいち。矛盾を感じるほど酷くはないものの整合性は微妙。ただWHITE ALBUMは2010年にPS3に移植されており、そちらでは改善されている可能性もあります。あくまで私がプレイしたのはPC版なので、PS3版のシステム・シナリオがどうなっているかはわかりません。

 で、肝心のWHITE ALBUM2ですが、こちらは1から数年後の世界が舞台となっています。といっても、1と2のつながりはそれほどまでに強くはなく、メインテーマの『WHITE ALBUM』が物語の始まりになっていたり、他の曲が懐メロとして残っていたり、1のヒロイン彼女達が現在も第一線で活躍しているというような話が間接的に流れてるくらいで、直接的なストーリーのつながりはほとんどありません。前作のキャラが登場して物語の主軸に関わってくるということは一切無し。緒方英二くらいは出てくるかと思いましたが、彼も名前が出てくるだけで実際の登場はなし。なので、結論からすれば、前作はプレイしていなくても全然OKです。共通点といえば、歌・アイドル・浮気・三角関係といった作品コンセプトを引き継いでいるくらいです。コンセプトにしても、どちらかといえば淡々とした(と記憶している)恋愛関係を描いた前作と比べれば、2では徹頭徹尾情愛に溢れたドロドロな恋愛菅関係を描いているので、同じテーマを書いているとは思えない。今作のメインヒロインも学園のアイドルという設定ですが、同じアイドルでも芸能人と一般人という距離感を描いた前作とは大きく異なる。ということで、どれもかろうじてコンセプトが被ってるだけの別物だと感じました。メインライターが違いますし、当たり前だといえば当たり前ですが。もちろん前作をやっていれば、多少は思い入れも変わってくるでしょうし、前作の歌は今作でも中核に関わってくるので、曲くらいは聴いておいても損はないと思います。シナリオテーマの比較等もできますし、やっておいて損ということはない。システムも一新されており、恋愛シミュレーションから純粋なADVタイプに変わりました。エロゲで一番ポピュラーな紙芝居タイプというやつですね。プレイヤーがやることといえば、ひたすらクリックしてテキストを読んでいき、時々選択肢を選ぶくらい。個人的にはこのスタイルの方が純粋に物語を楽しめていいんですが、前作のようにプレイヤーが努力して、かつ運がないと女の子と会えない、っていう前作のスタイルが好きな人もいるかもしれません。





 前置きが終わったところで、早速シナリオ毎の感想をまとめていきます。





  introductory chapter。主人公の春希と、クラスメイトのかずさと、同級生の雪菜が、歌の練習を通して交流を重ねていき、やがて恋愛関係へと発展していく、という全てのはじまりの話。元々春希は軽音楽同好会のギター補欠だったが、新しく入ってきた女ボーカルのせいで、バンドメンバー間の仲が険悪になってしまい、同好会が分裂してしまう。春希はこの機会を生かし、なんとか学校祭に出場するためメンバー集めに奔走するが、遅々としてメンバーは揃わない。春希が諦めかけていたとき、屋上から歌声が聞こえてくる。屋上で歌を歌っていたのは、学園のアイドルである雪菜だった。雪菜が一人で何時間もカラオケで歌ってるカラオケ女王だということが発覚し、春希は彼女を同好会のメンバーに誘う。そしていつもギターの練習中に聞いていたピアノの引き手が、クラスの問題児であるかずさだということがわかり、春希は彼女のこともメンバーに誘おうとするが――、と序盤のあらすじや、それぞれの立ち居地はこんな感じ。王道といえば王道、ありきたりっちゃありきたりですかね。序章は、これから先たくさん積み重ねていくための1段目を築いている段階という感じで、もちろん物語上なくてはならない出来事なんですが、プレイ中はそこまで深く感情移入しなかった。このシナリオが生きてくるのは、どちらかというともうちょっと後からで、具体的には終章をクリアした後くらいからです。というのも、序章の立ち位置は『作品全体にとっての戻りたい過去』、だと思うからです。序章を発売日にプレイして、終章を発売日にプレイしていれば、作中時間の経過と同じくらいリアルでも待たされた分、もっと思い入れも違ったのかもしれないと思うと、私も一緒に待たされるべきだったなあと非常に後悔しました。

 話を戻します。シナリオが進むにつれ、春希は雪菜とかずさとの二人と仲を深めていく。学校祭での発表が終わった後、春希に告白したのは雪菜でした。春希はこれにすぐOKしてしまう。ここから彼らの関係は崩れていきます。きっとかずさが告白していたのなら、春希はかずさを受け入れただろうと思えるところが悲しいところです。しかし現実には春希はその告白を受け入れ、かずさにも二人が恋人関係になったことを告げる。普通ならここでかずさは物語からフェードアウトしていくところなのですが、ここでこの雪菜というヒロインが面白いのは、自分と春希が付き合い始めても、かずさもそばにいてほしいと願ったところです。3人が2人と1人になってしまったのに、雪菜は3人の関係に拘り続ける。これがこの物語における最大のポイントであり歪みであるといえます。ここで雪菜がエゴを丸出しにして、自分と春希の2人だけでいようとしたのなら、物語の結末はかなり変わったのではないかと思いますが、雪菜がそうしなかったことにも理由はあります。それが本当の気持ちなのかどうかはとにかく、雪菜側にもそうする理由がありました。この段階で、春希とかずさには親との不和を抱えているという共通点がありますが、雪菜にはかつて友人関係において不和を抱えたという過去があります。これはまあよくある話だなあくらいのエピソードなのですが、しかし当事者である雪菜にとっては簡単に流せる話ではない。この事件が原因で、彼女は親しい人から仲間はずれにされることを非常に恐れています。だから彼女は3人での関係に拘ろうとした(ということになっている)。そりゃあ雪菜にとっては万々歳でしょう。ずっとみんな一緒という自分の望みは叶うし、好きな人はできたし、いいことづくめですから。しかし他の人の幸せが、雪菜にとっての幸せであるかといえば、そうだとは限らない。むしろ、雪菜の幸せは他人の不幸を招きます。誰かというと、もちろんかずさです。2人の恋人関係を傍らで眺めているうちに、次第にかずさはこの関係に耐えられなくなっていく。いや、きっと最初から、3人で旅行に行く前から、ずっと耐えられていなかったのだと思います。この関係にかずさがどれほどの苦痛とストレスを感じていたのかは想像に難くありません。そんなかずさに降って沸いたウィーンへの留学話。かずさは母親にピアノの腕を認められず、日本でずっと一人暮らしをしていましたが、かずさの母は学校祭の演奏をみて、一緒にウィーンへ行かないかとかずさを誘う。ウィーンで、ピアノの腕を磨かないかと。かずさは、春希たちに何も相談せず、それに応えてしまいます。

 そして3人の関係が崩壊する運命の日。いや、ずっと成り立っていなかったことが発覚する日だといったほうがいい。雪菜と春希が付き合い始めてからかずさとは距離が開き続けていた。しばらく会って話す機会がなくなっていた3人。その日春希は雪菜の誕生日パーティーに行く約束をしていたが、時間を余した春希は、かずさの家に寄り、彼女をパーティーに連れ出そうとする。全ては3人でいようとする雪菜のためだと頭の中で言い訳しながら、かずさと話し合おうとする。しかしかずさは家におらず、そこにいたのは海外にいるはずの母親。ここで春希は、母親からかずさがウィーンに留学することを聞いてしまいます。自分達に秘密にしたまま、かずさが全て一人で決めてしまったことを知った春希は、雪菜に嘘を吐き、ウィーンから帰ってきたかずさを迎えに行く。ここで切ないのは、春希は雪菜の家に家族もいると思っているのに、実際には雪菜の家族は旅行にいっており、雪菜は春希と二人でのサプライズパーティーのつもりで待っていたというところです。悲しいくらいにかみ合っていない2人の姿は実に悲哀を誘います。

 かずさを迎えに行った春希は、なんで自分に黙って行ってしまうんだとかずさを弾劾する。「いやいや何言ってるのこいつ……」と思っているところで、ついにかずさの感情が決壊してしまう。先に手の届かないところにいったのはお前だろと泣きながら春希を責め立てるかずさ。泣き叫ぶかずさを見て呆然と立ち尽くす春希。自分が誠実だと思っていた行為が、ずっとかずさを傷つけていたこと。かずさを想っていたはずが、自分の思い込みに過ぎなかったこと。ここでようやく春希はかずさの気持ちに気づきます。自分とかずさがずっと両思いだったということに。おいおい……と呆れること必至の場面。まあ、わかっててやってたのだとしたら、本気で最低だったわけですが。もちろん、これで二人が両思いになるかといえばそんなわけはない。そんなに物事は都合よくできていない。春希は既に、悲しいくらい雪菜との関係を積み上げてしまいました。そのことに気づいたかずさは絶望し、春希を突き放し、拒絶する。なぜそんなに慣れたキスをするのかと。二人の間に生じた絶望的なまでの距離。走り去るかずさと、呆然と立ち尽くす春希。ここまでの流れは演出も重なり合って最高でした。After Allのピアノは切なく、POWDER SNOWのピアノアレンジが美しい。

 別れを予感させつつ物語は進みます。かずさが雪菜にも留学することを告げた後、春希たちはかずさと連絡が取れなくなっていた。卒業式にも姿を見せないかずさ。このまま三人はバラバラになってしまうかと思いきや、かずさは雪菜だけには手紙を残していました。かずさがつい先ほどまでここにいたと知り、内容を確かめる時間も惜しんで雪菜を残し一人追いかける春希。春希はかずさを求め、夜まで街中を走りまわる。それでもかずさはどこにも見つからなかった。自宅で失意に沈む春希に、かずさから電話がかかってくる。お前が好きだと想いを伝える春希に対し、もうお前とは会わないと告げ春希を拒絶するかずさ。これが最後のあいさつだと。しかし、諦めの悪い春希はそれくらいではくじけない。かずさがすぐそばにいることに気づき、電話から聞こえた音を頼りにかずさの元へと走る。再び顔を合わせる二人。電話なら言えることもあると言い訳して、春希が大好きだと告白するかずさに、春希は自分の家に来いと誘います。互いの肉体を求め、ただ繋がり合うためだけに。雪菜を裏切りながら、雪菜に嫉妬しながらセックスする二人。もう、ぺったぺたの泥沼展開です。BGMの『綺麗で儚いもの』が、よりいっそうこのシーンの儚さを強調していました。所詮、二人の関係はこの場限りの繋がりに過ぎないということを。かずさはどのみちウィーンへ行ってしまうということを。

 ここで大きな山場が終わり、あとは穏やかな展開になるかと思いきや、この作品はここでは終わらない。凄まじいのはここからです。翌日、春希の家にやってきた雪菜は、かずさが今日ウィーンに言ってしまうことを伝えます。別に行かなくていいという春希に、かずさを見送りに行こうと雪菜は誘う。私達は親友なのだからと。もういい、それよりも話があるという春希に、迎えに行かないなら話は聞かないと言い張る雪菜。まだ私たちは終わりじゃない、全然終わっていないと主張する雪菜に、結局春希は折れ、同行することを決める。

 空港へ向かう道中、春希は全てを告白します。雪菜を裏切っていたこと。ずっとかずさのことが気になっていて、それを自分でも理解しながら雪菜と付き合ったこと。付き合った後もかずっとずさのことが気になっていたこと。かずさを忘れるために雪菜との関係を深めようとしたこと。全てがかずさを主体にした行動だったこと。自分の最低の行い。それら全部。しかし、雪菜は春希の罪を認めようとしません。雪菜は言います。全て、予想の範囲内だと。全てわかってて、それでも3人でいたかったから、恋人になろうとしたんだと。逆に春希へと自分の想いを告白する雪菜。かずさほどに春希のことが好きじゃなかった、かずさほどに真剣じゃなかったんだ、と。いったい雪菜はどこまで本気だったのでしょう。春希を傷つけないように気遣っての発言であること、また自分と春希のこれからの関係をこれ以上悪化させないように計算した発言であることは間違いないと思うのですが、少なくともこの場面で告白したことは、雪菜の中では本当のことだったんじゃないかなと思います。途中から春希を本気で求めてしまったことまで含め、全部。

 空港についた二人はかずさを探します。自分はかずさを見つけてしまうという予感に駆られながらも、空港を探す春希。そして再会してしまう二人。かずさの名を叫びながら走る春希。雪菜の前で二人は抱きしめあい、キスし合う。まるで雪菜に見せ付けるかのように。どうしてこうなるんだろう、どうしてこうなっちゃうんだろうと、一人述懐しながらそれを眺め泣く雪菜。3人の関係が崩壊してしまったことを示しつつ、序章の物語は幕を閉じます。雪菜を傷つけていると知りながら、キスし合う二人の姿は見ているだけでぞくぞくしました。最後のシーンは、かずさと雪菜、どちらの心情を想像してもたまらないものがあります。

 これはあとでわかる事実なのですが、かずさは学園祭が終わったあと、ピアノを聴いている途中で眠ってしまった春希に、キスをしています。実は、先に行動してしまったのは、雪菜ではなくかずさの方です。このとき、雪菜は友達関係のままでよいと思っていました。この3人の関係がずっと続けばいい。少なくとも、友達にそう公言できるくらいには、そう思っていた。しかし、雪菜はキスするかずさの姿を見てしまいました。雪菜が行動した大きな理由がこれです。2人の距離が縮まっていけば、いずれ3人は2人と1人になってしまう。3人じゃなくなるのが嫌だったのか、1人になってしまうのが嫌だったのか、1人を取られたくなかったのか、それともそれら全部か。いずれにせよ、焦燥が雪菜を告白へと駆り立ててしまった。もしもかずさがキスしていなければ、もしかしたら雪菜は一歩を踏み出さないままで、かずさと春希が付き合う未来だってありえたのかも――などというのは想像するだけ栓の無いことですが、この先の展開を思うと、想像せざるを得ません。





 いざこうやって書き終わってみるとただ痛い主観の混じったネタバレでしかないような気がしますが、とりあえず序章までの感想はこんな感じ。プレイ時間はだいたい6〜7時間程度です。私はボイスを全て聞かずに文章優先で進めていくことが多いタイプなので、じっくりボイスも聞きながらプレイする人なら恐らく8〜10時間程度かかると思います。ストーリー以外の点で、序章をやって気になったところは、目に見えてCGのクオリティにばらつきがあるところですね。特に立ち絵。素人目にみても、ちょっとこの絵は体のバランスが変なんじゃ……と感じるものがちらほらありました。

 あとは蛇足ですが、あえてclosing chapterを先にやって、春希と雪菜の間に何があったのか、妄想しながらプレイするってのもプレイスタイルとしてかなりアリなんじゃ、なんて思いましたが、残念ながらそのような奇特な人はあまりいないでしょう。もしそういう人がいれば感想を聞いてみたいなあと思います。










  closing chapter。かずさと別れてから3年後が舞台です。当然ながら、春希達は大学生3年生になっています。春希と雪菜の仲は冷えきっており、二人は同じ大学に通いながらも、距離をおいて学生生活を営んでいる。……といっても、一方的に距離あけてるのは春希だけであり、雪菜としては春希を助けてあげたい、癒してあげたい気持ちでいっぱいなんでしょうが、春希は雪菜のそんな優しさを正面から受け取り切れず、転部までして雪菜から距離を置いている。物語的にも「ここからが本当のWHITE ALBUM2だ……」とでも言わんばかりの痛々しいストーリーが待ち受けており、まさしくここからが本編といえるような、胃が重たくなる精神的な重苦さ溢れる展開が目白押しとなっています。

 一本道だった序章とは異なり、終章のシナリオは4つに分かれています。クリスマスの夜、雪菜に拒絶されて傷心した春希が、外部に癒しを求めるところからシナリオが分岐していく。未だ彼女がいる状況で違う女に癒しを求めるその姿はまさにダメ男であり、序章では少なからずいいヤツだった春希の株が大暴落していく展開となっています。予め書いておくと、終章のシナリオは、春希が雪菜を裏切り、傷つけていく話ばかりです。誠実さってなんだろうとか考えましたね。





 小春シナリオ。明るく真面目でおせっかいなアルバイト先の後輩と浮気する話。実は、終章の中でも一番救いのないシナリオなのかなあと思います。もちろんシナリオの良し悪しやキャラが好きかどうかは別として。結局春希と小春の関係はそれぞれに空いた隙間を埋めようとして始まった依存関係で、小春は友人との不和から、春希は雪菜からの拒絶から、それぞれ逃避してるだけなのではないかと。逃避から始まる恋愛関係が全て悪いと言い切れるほど達観してませんし、大体逃避っていうなら他のシナリオだってそうなんですが、実感としてはあまりいいものに感じられない。当人達はそんな風に思っていないのでしょうけど、それぞれがそれぞれの欠けたものを穴埋めする形で、傷を舐めあっているだけではないでしょうか。最後に小春の友人関係が修復される示唆めいた描写がなければかなり救われないシナリオだったと思います。

 小春は春希と似た人物像を持ったキャラとして描かれています。他人のためなら率直にものを言い、他者から嫌われることを厭わない代わりに、自分のことは全て溜め込んでしまい、自分で解決しようとするタイプ。なので、彼女のことを助けるためには自分から踏み込まなければなりません。しかし、このシナリオの春希は、雪菜に凹まされたことで、相手に踏み込んでいく活力がない無気力状態のため、小春は助けてもらえず一人傷つき苦しむことになります。で、その傷を作っている原因に癒しを求め、傷を舐めてもらう、と。これを悪循環と言わずなんと言おう。

 具体的にシナリオの流れを書きます。小春は友人の好きな人を寝取ったとして、校内で孤立していきますが、春希の前では常に気丈に振る舞い、自分でなんとかできるからと春希からの助けを拒否する。傷心の春希はこれ幸いとその言葉を特に何も考えず額面どおりに受け取り、小春に踏み込もうとせず生温い恋愛関係に満足してしまう。実際、辛いときに辛いって言ってくれる人を助けるのってそんなに難しくありません。もちろん全力で相手を助けないといけないのですが、なんでもないと言っている相手にウザがられながらも踏み込んでいき、相手に嫌われる覚悟をしながら(表面上)望まれても頼まれてもいないような人を助けるよりはずっと楽です。相手を傷つけるのって、色々なことに自覚的な人であればあるほど、避けたいことだと思います。時には他者を傷つける勇気も必要なのですが、言うは易し。それを実践するのはとても難しい。男女間であればなおさら。こんな時はいざとなればいくらでも自分への言い訳が成り立つわけで、はっきりいえば自分の責任外だと言い張ることだって可能です。無理して行動する必要はない。だって、直接自分に頼られているわけではないから。でも、私はこれって本当に話を聞いているうちには入らないんじゃないかなと思ってます。人間関係に嘘はつきものだし、相手の言うことを全部馬鹿正直に受け取り、相手の強がりから目を背けて何もせずにいることは、極めて保守的な態度だと思うからです。だから、理想的なことを言うなら、春希には小春の心情を尊重するなんて逃げではなく、踏み込んでいって助けてあげてほしかった。

 他のシナリオでも言えることではありますが、誰もが相手の気持ちを慮ってばかりで深く踏み込まず、相手から嫌われる覚悟を持って叱咤激励してくれる大人が1人もいないっていうのが今作の一つの悲劇だといえます。こういう人って煙たがられますし、現実にいれば好かれることはあまりないと思います。でも本当に他人のことを思って行動をしているのって、いったいどっちなんでしょう。程良い距離感を持った関係といえば聞こえがいいのですが、本質的なところではただ誰もが理解し合っていないだけってことなんじゃないかとさえ思います。寒々しい距離感が、妙に現実的な生々しさを感じさせてくれました。





 千春シナリオ。傷ついた春希を優しく包んで癒してくれる同級生と浮気する話(たぶん)。伏線の張り方が非常に上手なシナリオです。今作の中でも一番トリッキーなシナリオであり、シナリオ単位でみれば一、二を争うくらいよくできたシナリオだと思います。全体を見ないならこの話が一番好き。キャラとしてみても終章の新キャラの中では一番好きです。体が一つになっても、心が一つになっても、そこにあり続けるどうしようもない距離感。他にそう感じた人がいるかどうかわかりませんが、どことなく天使のいない12月を彷彿とさせる展開でした。

 シナリオについて書きます。春希は転部した先で千晶と知り合いました。千晶はあまり熱心に勉強をしないタイプの人間であり、春希は持ち前の世話焼き根性で千晶の面倒を見ようとする。初めは女を感じさせない同級生として親しくしていましたが、雪菜に拒絶されたとき、春希は彼女に女としての癒しを求めてしまう。そして始まる肉欲に塗れた同棲生活。ひたすらセックスばかり繰り返し、二人は体のつながりを深めていきますが、しかし一向に千晶の心の内は見えてきません。何故彼女は春希を癒そうとしてくれたのか?そこに気付くことがこのシナリオのキーとなっています。

 彼女が演技している女だと気づけたのは、かずさに成りきって春希を叱咤した場面です。一周目、別れの直前での台詞。

「あんまり、お前の近くにいる奴に騙されてるんじゃない。そいつは…最低の女だ」



 これは千春シナリオの一周目終盤付近で、割と前後の脈絡を無視して急に出てくる台詞です。最低の女といわれても、何のことを言ってるのやら、少しぽかんとなりました。いったいこれはなんだろうと引っかかりつつも、すぐには気付くことができなかった。もやもやしたまま話を進め、1周目が終わるくらいになってようやく一つのことに思い当たります。もしかして彼女は、何かしらの演技をしていたのではないか、ということに。わざわざ列挙していくのは格好悪いので自重しますが、思えば彼女が演劇をやっていたヒントはたくさんあり、私はそれをスルーしまくっていました。きっとカンのいい人は途中で気付いたんだろうなあ。実に絶妙な加減の伏線だと思います。

 1周目では、この後次第に春希が精神的に回復していき、千晶は最終的に春希のもとを離れていきます。その後千晶とは連絡が取れなくなり、雪菜と春希の関係が少しずつ修復されている様子が示唆されつつ、話が終わってしまう。千晶の本当の姿は見えてこないままに。

 もちろん、千晶シナリオはここで終わりではありません。もう一度千晶よりの選択肢を選びながら終章をやり直していくことで、今度は1周目では見られなかったシーンが開放され、千晶の行動理由が少しずつわかるようになっていきます。ここからが千晶シナリオの本番であり、プレイヤーは一周目の答え合わせをすることになります。やり直していくことで徐々に見えてくる千晶の心理。実際、彼女の裏で蠢いている感情は、傷心の春希からすれば相当にひどいものでした。千春の目的は、かずさと雪菜と春希の過去を自分の中に吸収して、演劇の脚本を仕上げること。そのために千晶は春希と寝て雪菜との思い出を聞き出した。自分の演劇を完成させるために、春希の求める女性像を演じ続けた。最初の方のシーンで、マンションから去る彼女が意味深に仄めかしていた態度ですら演技だったのかと気付いたときにはぞくぞくしました。
 
 悪女みたいな立ち位置になりがちな千春ですが、だからといって彼女が好きになれないのかといえばそんなこともなく、先に書いたとおり、メインヒロインを除いた中では一番好きなヒロインだったりします。なぜかというと、彼女は他の二人の成り行きのような関係とは違って、明確な目的意識を持って春希に近づいてきた女だからです。ある意味与え与えられる関係。性格的には理解し難い面がありますし、彼女の行動は打算と計算から生まれたものでしょうが、しかし彼女の愛情は本物であり、相当に深いものだと思います。

 このシナリオのポイントである演劇についてですが、難しいことはさておいて、千晶の気持ちと雪菜の気持ちが混ざり合った雪音の告白は本当に素晴らしかったです。

「ね、和希くん」
「わたし、捨てないから」
「あなたへの想いも、今、この手に掴んでいるチャンスも、夢も」
「女の子としての恋する気持ちも。歌手としての嬉しさも、楽しさも、プライドも」
「全部、手に入れようとするから。死に物狂いで頑張るから」
「自分の恋を追いかけて、一生懸命やってたら、いつの間にかチャンスを掴んでいたけれど」
「もしかしたらそのことで、和希くんを傷つけてしまったかもしれないけど」
「でもね、わたし…後悔してない。だって、掴んでから、それが自分の夢だって気付いたの」
「和希くんが与えてくれた、かけがえのないわたしの道だって、気付いたの」
「だからわたし、何もかも諦めないからね」
「何か一つを捨てて、他の全てを手に入れるなんて、そんなバランス感覚、わたしにはないもの」
「想いの量に、強さに上限なんかない」
「歌に対する想いが強くなるにつれて、和希くんへの想いが弱くなったことなんかないもの」
「逢えない時間が想いを育てたんだもの。ほんの少しの二人きりでいられる時間が、もっと思いを育てたんだもの」
「だから、わたしの気持ちは、負けてなんかいない」

いや、もうこの役は、雪菜だけがモチーフじゃない。

「全てを取ろうとして、全てを失ってもいい。それでもわたしは、全てを求め続ける」

初芝雪音は、小木曽雪菜でも、冬馬かずさでもあり。

「信じてる、なんていわない。和希くんがわたしと榛名のどっちを選んでも、それが間違ってるなんて思わない」

そして、和泉千晶自身だった。

「ただ、わたしの想いは榛名に負けてない。榛名もそうだと言うのなら、あとは和希くんに決めてもらうしかない」
「ね、和希くん…」
「わたし、和希くんのこと、本当に、本当に愛してる!これだけは真実だって、約束する…」



 これらの台詞こそが千晶の本物の心情です。舞台上の演技でありながらも、いや演技だからこそ可能だった一世一代の告白。人生が演技そのものの千晶の本心なんてそう簡単に読み取れるものではないでしょうが、これだけは千晶の奥底から溢れ出た純粋な想いなのだと確信できます。作品通してみてもトップ3に入るほど印象深いシーン。そしてこのシーンは千晶シナリオだけではなく、今作の終盤においても重要な意味を持って絡んでくるというのが素晴らしい。想いの量に限度なんてないということ。その想いが誰にも負けないと誰もが主張するのなら何を基準にして彼女たちを選べばいいのか。そのどちらかを選ぶことに正解があるのかどうか。後々、この場面を思い返すことになります。

 ある意味、このヒロインは3年前からずっと春希にぞっこんだったのであり、そういう意味では届かない恋を歌うヒロインとしてもふさわしかったのだなあと思います。クリア後に改めて序章をやり直してみると、千晶の描写が追加されているので、ぜひこれも読んでほしいと思います。3年も片思いしていたヒロインだってことが見て取れる、これまた印象的なシーン。

 あとは痕のオマージュが懐古プレイヤーとしてはなかなか嬉しい演出でした。不意打ち気味だったため思わずニヤリとしました。ためいきはいつ何時聞いても名曲ですねえ。





 麻理シナリオ。有能な職場の上司と浮気する話。大人の女との恋愛ストーリー……と思わせておいて、非常に拙い、おままごとのような恋愛を描いた話。たぶんライターの丸戸史郎が好きな人間像なんでしょうね、仕事ができて私生活はダメダメなヤツって。春希もそうだし、かずさもそうだし、雪菜もそうだし、千晶もそうだし。

 こういってしまうとなんですが、あまり感想が浮かばなかったシナリオです。別に麻理が嫌いだからではなく、このシナリオでやってることが幼すぎてコメントできないからです。ここでの春希は終始『なんで僕のことをわかってくれないんだ!僕のことをわかってよ!』という甘ちゃん極まりないものであり、うん、正直子供以外の何者でもなかった。なぜ誰もグーでぶん殴ってやらないのか不思議で仕方ありません。最後に雪菜を傷つけて麻理を追っかける展開は子供じみた衝動としか言いようがない。年上相手だから甘えてしまう心理もわかりますけども、求められて嬉しがってる麻里さんマジダメ女でしたけども。あれ、それじゃあ結果オーライか。ともあれ、好きな女を追っかけて海外へ飛んでいっちゃう展開は青臭くて仕方ありませんでしたが、こういうのも嫌いじゃあありません。

 一点気になったのは、麻里さんの過去の男性遍歴が全くわからなかったこと。明らかに何かしらのトラウマを持ってる様子だったのですが、思い違いでしょうか(私が読み飛ばしているだけだったらすみません)。










 ここまでがサブヒロイン3人の感想です。上記の3ルートは、雪菜との関係が失敗に終わってしまい、凹んだ春希が立ち直るまでの話です。早い話が過去を思い出にしてしまうためのルートといえます。私は、これも健全なあり方の一つなのかなと思っています。過去は過去で、現在は現在で、未来は未来。生きていくにあたり、ある程度そういった割り切りは必要だと考えています。『知らないことが幸せなこともある』し、『相手を好きなだけじゃ、どうしようもないこともある』。全部が全部、背負って生きていかなきゃいけないってものこともないでしょうし、適当に捨てていくことも必要だと思います。

 しかし、これらのシナリオがそれらを全て割り切れているのかというとそんなこともないわけで、だからかこのシナリオを終えた後は、あまりすっきりしない読後感となっています。思えばこれらのシナリオでは春希の過去の問題が全て解決したわけではありません。解決したといっても、それは半分の部分だけ。そう、雪菜のことはともかく、かずさのことは全然吹っ切れていない。最終章読めば一目瞭然ですが、はっきりいって、この段階での春希はかずさのことを全くと言ってほど割り切れていません。終章のサブヒロインと結ばれて、結果として残ったのは雪菜との関係を清算したという現実のみ。先に書いちゃいますが、終章での春希は、雪菜とあれだけ深く結ばれながらも、結局雪菜を裏切りかずさを第一に選びます(雪菜ノーマルもハッピーも、結局かずさのことを考えたから、ああいう結末になったのだと思います)。ということは、この先かずさのことが話題に出てくれば、当たり前のようにかずさを選ぶ可能性が高いわけです、この主人公は。

 終章のEDテーマ、『優しい嘘』と『愛する心』はどちらも雪菜の心情を歌った歌詞です。終章のメインはあくまで雪菜なのだと主張しています。ですから、この終章では雪菜と結ばれることがすなわち唯一のハッピーエンドであり、その他は言っちゃなんだが横道にすぎないのではないかと。むしろ、誤解を恐れずにいえば、最初の三人を選んでしまった結末はどれもバッドエンドなのではないかと思います。だって、かずさとのことは一切解決していないのだから。もしも春希が大学卒業後、小春シナリオにしろ千晶シナリオにしろ麻理シナリオにしろ、いずれウィーンに行くことになってしまうのなら、必ずかずさと向き合う日がくるんじゃないでしょうか。いずれにせよ、かずさとの再会は避けられないのではないでしょうか。そのときに、春希がかずさとサブヒロインの誰かを天秤にかけて、かずさ以外を選ぶとは思えないのです。いや、まったく可能性がないとは言えませんが、心の奥底から確信することはできない。描かれていない未来のことをどうこういうのもあれですが、もしも終章の未来が最終章に全て繋がるのなら、どちらにしろ今後の破局は避けられないと思うのです。





 ということで、雪菜シナリオです。ようやくやってきた大本命。このシナリオでは、春希が自ら雪菜に一歩踏み込んでいくことで、離れていた二人の距離が近づいていきます。さすがにメインヒロインだけあって雪菜関連の描写は軒並み濃い。心に突き刺さり思わず胃が痛くなりそうなシーン満載。

 シナリオの流れですが、上記のヒロイン3人の感想では共通パートの展開については端折っていたので、ここで雪菜から拒絶されるまでの展開について、雪菜シナリオに関わってくる中核部分だけに焦点を搾って書いておきます。

 全てのきっかけは、かずさが有名な国際ピアノコンクールで賞を取り、日本でも知名度が上がってしまったことです。春希と雪菜は、かずさの話題を通して離れていた距離を再び近づけようとします。他のシナリオでは、メールだけで距離を近づけようとする二人がほほえましくも痛々しかったが、電話がかかってくるだけで泣いてしまう雪菜を見ていると、やっぱりあの選択は間違っていたのだなあと痛感しました。

 少しずつ距離を近づけようとする二人ですが、しかし一度こじれてしまった二人の関係がすぐに回復することもなく、また少しずつ距離は離れていく。ある日、新聞社でアルバイトをしている春希は、かずさと同級生である過去を生かしてかずさの特集記事を書く仕事を与えられてしまいます。貴重な経験を得るチャンスを与えられたことに喜ぶ反面、またかずさのことを記憶から掘り起こさなければならないことに苦悩する春希。それでも周囲の信頼を裏切ってはいけないと決心し、記事を書くことを決めるが、書き上げた記事は『つまらん』とバッサリ切り捨てられてしまう。この記事が全くかずさに迫っていないことを指摘され、ぼろくそにこき下ろされてしまう。意識的に本当のかずさのことを書くことを避けていた春希は、もう一度過去と向きあうことを求められます。

 かずさの記事をどうするかで悩む春希に、雪菜が大学の合コンから戻ってこないことを知らされる。大丈夫と自分に言い聞かせながらも、雪菜の無事を確かめずにはいられない春希は夜の街を奔走する。持ち前の能力を発揮して合コンメンバー全員の所在を確かめた春希は、雪菜が誰とも一緒にいないことを知り、誰かとどこかへ抜け出したことを知って安心します。実はここで出てくる誰か――長瀬というキャラは千晶のことであり、千晶と雪菜の会話シーンは千晶シナリオの中でも重要なシーンの一つなんですが、本筋には関係ないので省きます。ようやく雪菜を見つけた春希。雪菜に自宅へ戻るよう諭すも、雪菜は一向に頷こうとしない。そんな雪菜の態度に『怒ろう』としたところで、先に諦めてしまった雪菜の方が崩壊してしまう。なんで、こんなにわがままを言っているのに、怒ってくれないのかと……。ほんの一瞬のタイミングで、致命的なまでにすれ違ってしまう二人。ここからの展開は圧巻です。氷の刃をBGMにひたすら春希への恨み言を述べる雪菜。「早く、ふってよ」「わたしを、楽にしてよ」と春希に泣きつきながらも、数秒後に全てを撤回し、今のは忘れてと泣き崩れる雪菜。何もかもが後悔を誘い、ぐさぐさと心に突き刺さりました。雪菜は実際のところかなり計算深い女で、かなり狙ってああいうことをやってると思いますが、そこを差し引いても心に残るシーンでした。雪菜の魅力の全てが凝縮されたシーンだと思います。その翌日、届かない恋をBGMに、春希はかずさとの過去に向き合い、罪悪感と満足感に浸りながら、記事を書き上げます。今度は客観的な美辞麗句で飾られたものではなく、限りなく主観的な表現を加えた下世話なものを。

 それから二人は、またメールで距離を近づけていく。直接会ってしまえば傷つけ合うばかりなのに、メールで間接的に繋がっているだけなら傷つけあわずに済む。どちらが二人にとっての最善なのかは明白なのに、あえて遠回りな手段を選んだ二人は、しかしまた少しずつ関係を深めていきます。そしてクリスマス、二人は再び会う約束をする。春希が書いた記事が載っている雑誌を渡すという名目で。

 クリスマス。まるで昔の恋人だった時のようなデートをする二人。ところどころで雪菜の態度に引っかかりつつも、基本的には幸せそうな二人。ディナーを終えて夜の公園を歩く二人に、雪が降る。雪は好き?と問いかける雪菜に、そういうのはもうやめやよう、これまでのことはリセットしよう、かずさとのことはもう忘れたからという春希。

「わたしね、わたしねっ、いつまで頑張ればいいのかわからない」
「三年間、ずっと頑張ったんだよ?ゆっくり、ゆっくり近づこうって我慢してたんだ」
「けれど、ちっとも距離は縮まらなかった!こうして触れ合うこともできなかった…っ」

「うん…こういうこと、できなかったんだよ」



 釈然としない態度の雪菜にもどかしさを感じつつも、それでも二人は少しずつ距離を近づけ、再び触れ合い、抱きしめ合う。そしてホテルへと向かう二人。ついに迎えようとした初夜。ようやく二人は繋がり合う――のかと思いきや、物語はそう単純に転がっていってはくれません。

 シャワーを浴びている春希を待つ間、ベッドの上においてあるかずさの記事を見つけ、一人読み直す雪菜。ぼろくそに書かれた記事を読んで笑いながら、雪菜は何故こんなところに記事があったのかを考えてしまう。その理由に気付いた雪菜は、再び感情が決壊してしまいます。

 雪菜は既に、春希が書いた記事を読んでいました。それも1回2回ではなく、何度も何度も繰り返し。春希の中で確かに残っていたかずさへの未練。雪菜は泣きながらに訴えます。春希が3年前と全く変わらないことを、かずさのことを忘れてなんかいないことを。春希の中のかずさに、背中に押してもらっていたことを。雪菜はかずさへの気持ちを捨てていないにも関わらず、忘れたと主張する春希を許せなかった。ずっと我慢して溜めこんでいた感情を吐き出す雪菜に、何も言い返せない春希は、自失状態のままホテルを後にします。序章のときと同じように、どうしてこうなるんだろう、どうしてこうなっちゃうんだろうと、悔恨に苛まれる雪菜を一人残したまま。

「大丈夫…」
「わたしは、ずっと春希くんが好きだった」
「彼も、わたしを愛してくれるって言った。わたしを…求めてくれた」
「だからわたしたちの前に、障害なんか何もない。…当たり前のことを、当たり前にするだけだよ」
「不安なんか、かけらもない。後悔なんか、するわけない。だって、昔のことなんか全部忘れたんだから」
「……ごめん、かずさ」
「わたし、今日、あなたから春希くんを奪う」
「もう誰にも、渡さないよ」



 雪菜の心情を踏まえてみれば、この独白が全く別の意味を持って聞こえてきます。雪菜の決意を示していると思わせるシーンが、雪菜が自己暗示をかけているシーンに。すなわち、春希がかずさを忘れていないとわかっていながらも、そういうことにしてしまう、誰にとっても都合のいい自己暗示を。

 雪菜に拒絶され、嘘つきと罵られ、ボロボロに傷ついた春希は、精神的なショックを受け、自分の殻にこもってしまいます。本来ならここで上記3人のルートに分岐していくのですが、雪菜とのつながりを優先していた場合のみ、春希は他の女に逃げません。そのかわり春希は人との繋がりの中で癒されていきます。麻里に、千晶に、小春に、少しずつ助けられていく。麻里には、かずさのことが好きだったことを。そして勇気を。千晶には、雪菜には振られたけれど、それでも雪菜が好きだということを。そして答えを。小春には、クリスマスの夜、雪菜との間にあったこと全てを。そして正しい道を。春希は、周囲の人達の力を借りながらも、社会復帰するため一人で立ち直っていきます。そして大晦日。ようやく精神的に立ち直り、吹っ切れた春希は、雪菜に電話をかけ、やっぱり雪菜が大好きだと告白します。



 ここで話は一段落し、シナリオは次の段階へ進んでいきます。ギターを使い、また生まれてしまった雪菜との距離を埋めようとする春希。感情を爆発させて逆切れする面倒くさい女丸出しの雪菜に萌えつつ、シナリオは序章のテーマに回帰し、すっかり忘れられていた歌とギターが引っ張り出されます。

 ここから先、キーになってくるのが柳原朋というキャラクターです。後半部分はこいつが契機になって物語が動き出します。序章のときに少し書きましたが、軽音楽同好会に入ってきて会をめちゃめちゃにした女ボーカルが彼女です。彼女の子供じみた好意と自分本位な行動が物語を動かしていく。客観的にみてると少しイライラするキャラですが、しかし自分のために行動する人が少ない今作においては貴重な人物ですし、一人くらいこういうキャラがいてもいいでしょう。朋の行動理由は、わかってみれば本当に微笑ましいものでした。

 雪菜に聞かせるギターを練習している姿を中学生かと揶揄されつつ、相手のことを想っているフリをして結局待っているだけで雪菜に踏み込んでいかない姿を非難されつつ、それでも二人はまた距離を近づける。着かず離れずの関係を保ったままで。しかし、こんな停滞した関係がいつまでも肯定されるわけもなく、物語は否応なく動きます。朋が行動したことで、雪菜の隠していた秘密が明らかになっていく。

 強引にラジオ放送に出演させられ、バレンタインのコンサートへ出ることを決められてしまう雪菜。ここでついに、雪菜が歌にトラウマを抱き、歌えなくなっていたことがわかります。学園祭の『届かない恋』が原因で。春希を好きでい続けるかわりに、歌を嫌いになったんだと告白する雪菜。歌をきっかけに始まった思い出が、美しいものばかりではなかったから。雪菜にとっての綺麗で儚いものは、卒業式と空港での別れをどうしても思い出させてしまうから。

 春希の部屋で、クリスマスのときのように、二人きりになった雪菜と春希。似たような状況の中で、しかし一人届かない恋を弾く春希。わたしは歌わない、コンサートになんか出ないという雪菜。そんなことよりもっと大切なことがある、今日は絶対に拒んだりしない、もう大丈夫だからと言い聞かせるように呟く雪菜を、今度は春希がやんわりと諭します。

「大丈夫って、相手を気づかうための言葉だろ。どうして自分に言い聞かせる必要があるんだ?」
「本当に相手を求めてるんならさ…自分が大丈夫かなんて、そんなこと考えもしないだろ?」



 ことここにいたっては、春希は雪菜の嘘を見抜いています。雪菜はただ強がっているだけだということを。そして雪菜にとって歌とはなんなのかということを、歌を歌っている雪菜の姿が好きだということを、あの頃の、笑っていて、幸せそうな雪菜が好きだということを、余すことなくギターを通して伝えます。

 もうここから先のことを書くのは無粋でしかないと思うので略しますが、つまり二人は歌を通して関係を再生し、ついに過去の呪縛を乗り越えて結ばれます。二人はただひたすらに求め合い、最低でも一週間に一度は会うことを誓い合う。俺たちはもう大丈夫、これからはもう雪菜を離さないと約束する春希。ようやく、ようやくという言葉がこれほどまでにふさわしい物語もないでしょう。近づいては遠ざかり、遠ざかっては近づき、散々遠回りをし、時には足を踏み外しかけ、相手を傷つけ、相手に傷つけられ、それでもどうしようもないほどに求め合った二人。プレイヤーが散々切望した結末に、ようやくたどり着きました。やっと三年前の誕生日に戻ってきました。『これが、俺たちの終章』という言葉に、一も二もなく頷けます。



 このシナリオは、春希が雪菜への後ろ暗さを吹っ切って雪菜に想いを告白し、また雪菜が過去の痛みを乗り切って再び歌い始めるまでの話。『優しい嘘』で雪菜の恨み言を聞き、『愛する心』で雪菜の歓喜の声を聞く。数え切れないほどの苦難を乗り越え、まさにようやく訪れたハッピーエンド。これから先、決して揺らぐことなんてないと思える、春希と雪菜の幸福な結末。これ以上ないくらい最高のエンディング。ここから始まる幸福な二人の、二人だけの季節が始まる。





  ……そうとしか思えないエンディングなのですが。事実、物語もそう締められているのですが。これから先はきっと優しい世界が待っている――そう誰もが思うはずの場面なのですが。雪菜と春希は、ようやく手に入れた幸せを胸に二人で生きていくのだろうと、そう思う場面に違いないはずなのですが。



 思えば、ここまでかずさは想像以上に物語の表舞台に登場してきませんでした。出てくるのは想像上のかずさばかりで、実際のかずさはたった一度、春希とかずさがニアミスした場面があるだけで、それ以外には全く出てきません。にも関わらず、かずさの影響は非常に大きく、これほどまでに終章全体に存在感を与えています。最初私は、この終章でコンサートにきているかずさと春希が再会する話を描くのだろうと思っていました。雪菜とかずさの二人の関係に板ばさみになって苦悩する春希の姿を描くのであろうと。この終章の話の中でかずさはどんな風に絡んでくるんだろうと。かずさが出てこない、かずさが話題に上がるだけのシナリオでこんなに重苦しいのに、これで実際にかずさが登場してしまったら、いったいどんなことになってしまうんだろう――雪菜シナリオをクリアし終えた時、私はそんな風に思っていました。










 しかし、このWHITE ALBUM2という物語は、そんなに生ぬるくありませんでした。この作品は、そんな優しいだけの世界を認めてくれません。





  coda。終結部。結末。最終章。雪菜シナリオから2年後を描いた、文字通りの最終シナリオ。予想してなかったまさかの第三章。今作の真骨頂はここからです。このシナリオの展開がよすぎて優秀な終章ヒロイン3人のシナリオも霞んでしまう。エロゲの構造的欠陥ともいえるこの一点が、今作最大の欠点でありネックであるといえます。

 最終シナリオは、雪菜と結ばれた状態を継続して始まります。当然、この最終章は雪菜シナリオの後日談というわけではなく、作品全体を締めくくるグランドフィナーレとなっています。実は、当然あるだろうと思っていたかずさシナリオが、終章には存在しません。残酷なことに、かずさと結ばれるエンディングはこの最終章の中でしか語られない。春希が大学生の間にかずさとの関係が回復する未来は存在しません。まるでそれが二人にふさわしい罰であるかのように、二人の物語は雪菜と春希の恋人関係にある状態から始まります。そして逆に、幸せの最絶頂を歩む雪菜にとってはまたしても試練が経ち塞がることになります。ずっと目を背けていた、かずさという過去のしがらみが。





 以下、自分で読み返してみても、特に主観的で読みづらい文章だと思いますが、ご容赦を。意味わかんねーと思ったら笑ってやってください。

 まずは共通部分から。大学を卒業して社会人になった春希は、出張に向かった先のウィーンで、偶然かずさと再会します。5年ぶりに再会した春希とかずさ。最終章はここから始まっていきます。かずさとの久方ぶりの触れ合いはたったの数日で終わり、すぐに二人は離れ離れになるが、一度燃え上がった炎は簡単には消えない。雪菜へのあの誓いはいったいなんだったのかと思わされるくらい、いとも簡単に、あっさりとかずさへの執着を蘇らせていく春希。かずさへの想いに揺れる春希に追い討ちをかけるように、今度はかずさが日本へ来日してコンサートを開くことが決定し、会社からはかずさに密着取材をするよう仕事が下ります。雪菜との想いに葛藤する春希は、仕事だと割り切ることも、かずさと一緒に入れて嬉しいことも否定できず、流されるまま仕事を引き受けてしまう。仕事だと割り切り、雪菜にも正直に言ってしまえばよかったのに、そんな建前すら言えず、秘密を抱えたままの春希は、雪菜を裏切りながらかずさとの親交を温めていきます。5年経っても、またこれから先何年経とうとも、春希の中のかずさが思い出になることはない。かずさが永遠に春希の中で生き続けることを強烈に意識させらます。

 そして訪れるかずさの公演日。かずさから必ず見に来るよう言われていた春希は、膨れ上がっていくかずさへの想いを恐れ、かずさとの約束を破って雪菜の元へ向かってしまいます。かずさとのことがあったから、かずさとのことを振り切りたくなったから、雪菜を求める春希。そんなんだったら最初からかずさに希望なんて抱かせてやるなよとぶん殴ってやりたくなりますが、突き放すこともできず、情欲に任せるまま溺れることもできず、ままならない感情、これこそが今作の描こうとしているところなのだと思います。独占欲むき出しの雪菜も、かずさと過ごしていたことを塗りつぶすために雪菜を抱く春希も、お互いに言いたいことを抱えたままにただ求め合う。やっぱり、誠実さってなんだろうなあとか考えました。

 日本での初公演が、表面上を取り繕われただけのボロボロな結果に終わったかずさは、皆の前から姿を消してしまいます。春希は、そんなかずさを探して旧かずさ家を訪れ、再度かずさと向き合います。なんでコンサートに来なかったんだと泣きじゃくるかずさの姿はまさに子供そのものであり、これを見るだけでかずさの精神的な脆さを感じ取れる。

 最終章のシナリオは、このあたりから四つの展開に分岐していきます。便宜上、それぞれ雪菜シナリオは雪菜ノーマルと雪菜ハッピー、かずさシナリオもかずさノーマルとかずさハッピーに分けて感想を書いていきます。





 雪菜シナリオ。雪菜ノーマルは、共通パート後、春希からの愛を求めるかずさに対し、雪菜だけを愛していると拒絶し、そのまま終わってしまうEDです。いかにも毒にも薬にもならない普通の話であり、言っちゃなんだが一番平凡な内容でした。かずさがいなくなり3人じゃなくなった2人。かずさは追加公演もせずに日本から去り、家族公認で愛し合う関係になった2人は、順風満帆な人生を歩んでいく。しかし、春希はかずさのことを想ったまま雪菜を愛しており、二人の関係は何も解決していないことがよくわかります。雪菜はそのことに感づきつつも、決して追求しようとしない。かずさとの未練を引きずったままの、全くすっきりとしないEDです。だからか、あまり印象にも残りませんでした(終わったあと、雪菜ノーマルってどんな話だっけ?と思い出すことができず、プレイしなおしてしまった)。それでもまあ、雪菜からすれば悪くない結末でしょう。少なくとも、愛する人がずっとそばにいて、自分のことを見ていてくれるのですから。



 雪菜ハッピーは、過程はさておいても、恐らくこれ以上ないくらい雪菜にとって幸福な結末です。これが、今作を通して一番雰囲気がよくて、たぶん、一番ウケのよいEDでしょう。ただし、かずさから言わせれば、3人の平均を取ったからこそ生まれたEDだということを忘れてはいけません。望みの全てではなく、どこかを妥協した結末。この時この瞬間、我慢しているかずさがいるから成り立っている結末。どこかで間違いなく一人哀しんでいるかずさのことを思ってしまえば、心から感動することはできませんでした(だからといってかずさシナリオに感動したわけでもありませんが……)。

 シナリオは、かずさのコンサートから逃げ出してきた春希と雪菜の取る行動によって分岐していきます。このシナリオでは、二人はセックスに逃げず、話し合うことを選択します。春希は雪菜に、ずっと前からかずさと会っていたこと、そしてかずさをずっと側に置いて生活していたことを告白する。雪菜はそんな春希に対し、かずさをおいて逃げてきたことを叱咤して東京に送り返す。優しく受け入れるという安易な選択肢に逃げようとせず、傷つく道を選ぶ。ここがノーマルと大きく異なるところです。

 東京に戻った春希は、窓ガラスを割って手にケガを負ったかずさの面倒を見ることを決めます。これまでと同じようで、けれどどこか違う、半同棲生活を過ごす春希とかずさ。しかしそのまどろみのような生活は、かずさの母が白血病であることが発覚してから、簡単に崩れていってしまう。5年前のあの日から、ずっとかずさの支えになっていた、母の存在。自身の半分を失うことを知ったかずさは、ショックで春希の側を離れて、自分の殻にこもってしまいます。
 
 もう自分ではかずさを助けられないと悟った春希は、雪菜に助力を求める。ここから先はもう春希とヒロインの話ではなく、雪菜とかずさの過去を清算するための展開となっています。ホテルに引きこもるかずさに、雪菜は自身の感情をぶつけて心を開かせていく。

 以下、長文引用です。重要なシーンだと思ったので可能な限り書き出しました。もちろん、どこかしらから苦情があれば即刻削除します。

「保証、してくれるのか?」
「かずさ?」
「母さんが、ずっと…100まで生きるって」
「え…」
「完治するって。ピアノやめるって言ったの撤回するって。あたしと一緒に、ウィーンへ帰るって」
「雪菜が、約束してくれるって言うのか?…何の根拠があって?」
「かず、さ…」
「わかってるのか?雪菜には、本当にわかってるのか?…あたしが、母さんを失うってことの意味が」
「失うって…そんなのまだ決まったわけじゃ」
「家族に囲まれて、家族で笑いあって、家族でご飯食べて、家族でパーティやって、困ったことがあったら家族で話し合って…」
「そんな雪菜に、たった一人の家族を失うかもしれないあたしの気持ち、わかるのかよ!?」
「……」
「お前の慰めなんか、まるで心に響かない。何もかも持ってる奴の憐れみなんか、苛つくだけだ」
「そっか…」
「だから雪菜…もういいだろ?」
「あたしが悪いのはわかってる。だから、こんなに回りくどく責めなくたっていいだろ?」
「何発でもぶん殴っていいから、早くあたしの前から消えてくれ」
「……」
「そして、もう二度と…」
「そうだね…確かに、違うかもしれないね」
「え…?」
「もし自分のお母さんが重い病気だって知ったら…お父さんと、孝宏と…みんなで大泣きするだろうな」
「泣きながら夜通し話し合って、けど何も決められなくて、なのにお母さんの病室に行くと、みんな笑うんだ。真っ赤な目をして、けれど、必死に笑うんだと思う」
「病気のこと、とっくにバレてるのに、誰もがそんなことわかってるのに、それでもかずさの言う『家族』を演じるんだと思う」
「…だから、なんだよ?」
「そしてもし、もしもその日がきてしまったら…きっと、かずさと同じように、世界の終わりが来たみたいな気持ちになると思う」
「……」



 でも、実際に雪菜にそんな日が訪れることはない。雪菜はずっと誰かに守られるし、助けられる。そのことを忘れてはいけない。

「悲しくて、悲しくて、いつまで泣いても涙が溢れて、だからもう、何も考えたくなくて」
「そう思うんなら、あたしを一人に…」
「でもね、良くも悪くも、そこで終わりじゃないんだよ?」
「雪菜…?」
「看取ってくれたお医者さんにちゃんとお礼を言って、葬儀屋さんと打ち合わせして、式場を押さえて、親戚みんなにお通夜とお葬式の日取りを連絡して」
「…何が言いたいんだよ」
「本当に辛いんだよ?何もしたくないんだよ?それでもわたしは、わたしたちは、人と触れ合わないわけにはいかない」
「…っ」
「けれどそれは、嫌なことばかりじゃない」
「そうやって人と話しているうちに、世界が壊れてしまいそうな悲しみが少しずつ癒えていくから」
「人と繋がっているうちに、ゆっくりと、世界が修復されていくから」
「それは…雪菜の場合だ。あたしは違う。触れ合う人なんかいない」



 臆面なく心の底からこう言えることが雪菜の強さであり、魅力です。しかしその強さは時に自分を傷つける諸刃の剣になることもある。ここのシーンは、後々の重要な布石でもあります。

「いるよ…」
「いるもんか。母さんがいなくなったら、もう…」
「かずさの周りにだって、たくさんいるんだよ。あなたが見ようとしないだけだよ」
「いない、誰もいない。あたしには、もう母さんしかいない。いついなくなってしまうかもわからない、あの人しか」
「いるよ!わたしがいる!」
「……いない」
「それに、春希くんだって!」
「二人ともいない!二人ともいらない!あたしとはまったく違う世界の人間だ!」
「かずさ!」
「春希はあたしを捨てたんだ。雪菜があたしの側にいる理由なんかないんだ」
「好きだから!かずさのこと、大好きだからじゃいけないの!?」
「…相変わらずいい性格してるな雪菜。そんな都合のいい嘘、信じられると思ってるのか?」
「なんで…そんなふうに思うのよぉ」
「…信じてるからだよ。自分の心の意地汚さを」
「っ…」
「こんな酷い中身ごと好きになってくれる奴なんて、もうこの世にいないって、信じられるからだよ」
「でも、わたしは好きだよ。好きなんだよかずさのこと!」
「信じない信じない、信じるもんか!あたしみたいな人間を、心の底から守ろうとする奴なんかもういない!」
「ここにいるんだって!いくらでもいるんだって!」
「こんな最低な奴、好きになるはずがない!」
「最低な人を好きになっちゃいけないなんて、一体誰が決めたのよ!?」
「好きになれる訳ないじゃないか!だって、汚くて、卑怯で…っ」
「じゃあどうしてかずさは春希くんを好きになったのよ!あんな嘘だらけの汚くて卑怯な人を、なんでっ!」
「かずさだって、かずだって、わかってないくせに。あの日から、わたしがどんな思いをしてきたか、全然わかってないくせに」
「……雪菜っ」
「あなたがいなくなってから…あなたがわたしたちの決着を先延ばしにしてから…どれだけもがいて、悩んで、苦しんで、泣いたか…っ」
「勝手なこと言うな…そんなのあたしのせいじゃない。その証拠に今、お前たち愛し合ってるじゃないか!」
「ここに来るまでに何度すれ違ったと思ってるのよ!何度離れそうになったと思ってるのよ!何度諦めかけたと思ってるのよ!?」
「でも愛し合ってる!あたしのことなんかすっかり忘れて!」
「違う!春希くんは全然忘れなかった!かずさのこと、一度たりとも忘れてはくれなかった!」
「だったらどうしてふられるんだよあたし!?
「あなたが彼を五年も放っておくからじゃない!」
「なんだよ!あたしのせいだってのかよ!」
「それ以外に理由なんかある訳ないじゃない!全部あなたが臆病なのが悪いんじゃない!」
「っ…雪菜…そこまで言うか?何もかも手に入れたお前が、何もかも失ったあたしに、そこまで言うのか?」
「そっちこそ勝手なこと言わないで。彼の気持ちをずっと独り占めしてきたくせに、今さら被害者みたいな顔しないでよ!」



 愛と伝統のビンタ合戦。客観的に見ていれば笑えるかもしれませんが、ここまで感情移入してしまうと二人の姿が痛々しすぎて笑えません。

「どうしてすぐに奪いに来なかったのよ…」
「せつ、な…」
「かずさが日本に残ってれば、春希くんはあなたのものだった。なのに、どうして逃げちゃったのよ…」
「だってお前がっ!お前が、あいつを…」
「そうだよ。わたしが彼を奪った。…でもあなたはわたしに何も言わなかった。戦おうとせずに逃げちゃった」
「っ…」
「あの時かずさはわたしに春希くんを譲ったんだよ。春希くんのこと、諦めたはずなんだよ」
「それは、それは…それはぁ…っ」
「なのに、五年ぶりに再会したとたんにこんな…今さら気が変わったなんて言われても知らないよ!」



 あの時、かずさがなりふり構わなくなっていたら。そうすることで全てが上手くいったのかと言われればそんなこともないんじゃないのと思うのですが、起こりえなかった未来のことは置いておいて。

 雪菜が、かずさのため三人のためと謳いながら、結局のところ自分のために行動していることがよくわかるシーンです。雪菜は単純にかずさのために行動するのではなく、かずさを助けることで救われる春希がいることを前提に行動している。かずさのことを思っている気持ちがこれっぽっちもないとまでは言いませんが、雪菜と春希の未来のための行動であることは間違いないかと思います。昔だったらまだ少しは違っただろうに、もうあの時の三人とは違うんだということを知らしめてくれます。

 もちろん、雪菜のその心理を否定するつもりはありません。

「春希くんはね、ずっと、ずっと、かずさのことが好きなんだよ。五年間変わらず、かずさを一番愛してるんだよ」
「…そんなの信じられるか。だって今、あいつが見てる女はあたしじゃない」
「彼の気持ちをわかっていながら、それでも言い寄ってきた女の子がいたからね」
「……」
「優しい春希くんは、そんな痛いコを見捨てられなくて…とうとう根負けして、受け入れてしまったんだよ」
「そういう卑屈なことばかり言うな。かえって腹が立つ」
「……」
「あいつは五年前から雪菜のことが好きだったよ。ずっとあいつを見てたあたしだからわかるんだよ…」
「それでも、彼の中の一番はずっと変わらなかった。…途中からだけど、ずっと彼を見てるわたしならわかる」
「っ…」
「初めて好きになった相手で、世界一愛した女の子で…そんなコを、追い抜けるわけなんかなかった。どれだけ頑張っても、肩を並べるのが精いっぱい」
「でも雪菜は努力した。…あたしのしなかった努力をさ」
「かずさ…」
「だから、あいつが世界一愛してる女になった。…元からいい女だったくせに、手に負えないくらい凄い女になった」
「そんなこと…」
「お前の勝ちだよ。もう勝負はついてる。…わざわざ、あたしに負けを認めさせなくてもいいだろ」
「だからわたしはそういうつもりで…」
「あたしのこと好きだから構うなんて…そんなふうに、自分にまで嘘をつくなよ」
「そういう卑屈なことばかり言わないでよ。かえって怒れてきちゃうよ」
「あたしはお前には…お前にだけは、許してもらう資格はないんだ。…わかるだろそんなこと?」



 色々な意味の許される資格。先にキスを奪ったこと、体を奪ったこと、空港でのこと。そしてそのこと自体は否定しない雪菜。

「でも、でも…わたし、かずさに対して無関心じゃいられない。…好きと、ものすごく近いところにいるんだよ!」
「雪菜…っ」
「あきらめないよ、わたし…あきらめないから」



 少しずつ本音を見せる雪菜。あきらめないのは、本当にかずさとの関係でしょうか?それは、春希との関係なんじゃないでしょうか?

「嫌いだ…春希なんか」
「そう…」
「あいつがあたしのことをどう思っていようが、あたしはあいつのことなんか大嫌いだ…」
「彼の、どういうところが嫌い?」
「真面目に決めたことは全部正しいって…そんな間違った思い込みをしてるところだよ」
「え…」
「本気の人間が全て正しいって…自分は思い悩んだからその決断は正しいって、変な固定観念に凝り固まってるところだよ」
「春希くんは間違ってるって言うの?あんなに思い悩んで、一生懸命な彼が?」
「あいつの言ってることは全部間違いだ。だってあいつは、人としてのセンスがないから」
「センスって…そんなことで?」
「どれだけ真面目に考えても、適当に決めても、才能の段階で、あいつの正しいことなんてないんだよ」
「……」
「雪菜にわからないだろうな…ううん、日本人にはわかりにくいのかも」
「天才なら…芸術家ならわかるっていうの?かずさみたいに」
「な、嫌いだろ?あたしのこと。お前たちには合わないだろ?」
「そうだね、彼は間違ってるかもしれない。嘘つきの上に、愚かで…どうしようもないひとなのかもしれない」
「最初からそう言ってるじゃないか。あんな奴を愛してるだなんて、雪菜のセンスも大したことないな」
「でも、彼が間違いを犯すのは、彼にセンスがないからじゃない。ただ、最初から公平じゃないんだよ」
「はぁ?」
「すごく真面目に考えて、思い悩んで、正しい結論に辿り着いた上で、自信満々に逆の選択をしてるだけだよ」
「なんだ、それ…」
「だから、間違ってるように見える。…ううん、明らかに間違えてる」
「…意味わかんない。なんでそんなことするんだ」
「相手を思いやる心に、あまりに引きずられるから。…かずさのことばかり、ひいきするから」
「っ!?」
「そういうとこ…正直嫌だって思うこともある。ほんと酷いよね、春希くん」
「あたしのせいで、春希が間違えてるって?道を踏み外してるって言うのかよ…?」



 いやあなた自覚なかったんですか……としか。雪菜がイラっとするのも仕方ないと思います。

「一週間前…彼がわたしになんて言った知ってる?」
「そんなの嘘だ!だって、あいつは…あいつはあたしを…っ!」
「いつもはみんながそう思うんだよ…五年前…わたしだってそう思わなかったわけじゃない」
「っ…雪菜!」
「今、かずさがそう思うのは、初めて自分が拒絶されたからだよ。…今回だけ選ばれなかったからだよ」
「や、やめ…やめろっ」
「いつもいつも、かずさを抱きしめてた春希くんが、いきなりかずさを突き放したから…だから、根に持ってるだけだよ」
「やめろって言ってるだろ!」
「『嫌いな』相手に拒絶されただけなのに、どうしてそんなにショックを受けるのかな?」
「あたしを…あたしをこれ以上打ちのめすな!勝者が敗者を責めるなんて卑怯だろ!」



 すぐに敗北宣言するくらいなら無理に虚勢を張らなければいいのに、それでも強がってしまうかずさの姿が愛おしい。

「彼がどれだけかずさを第一に…それこそ、憎たらしいくらいあなた優先で決断してるか、何もわかってないくせに」
「わかってたまるか!そんなこと、信じられるか!」
「かずさにはわからないだろうね…ううん、日本人でないとわかりにくいのかも」
「っ…お前」
「嫌いでしょ?わたしのこと」
「……ああ、嫌いだね。そうやって大人げない仕返ししてくるところが!」
「今のが仕返しだってわかるんだ…やっぱりかずさって、わたしと同じだね。…センスのない日本人が、大好きなんだね」



「ピアノ…やめようかな」
「そんな…どうしてそういうこと言うかなぁ」
「もう、聴かせたい相手がいないんだよ。みんな、あたしの前からいなくなっちゃった」
「……」
「今までは、ピアノを弾けば幸せになれた。…ウィーンにいれば、あたしは五年前から先に進む必要がなかった」
「かずさ…」
「けれど日本に来て、五年後の世界に来て…幸せな空想が、現実に壊された」
「……」



 現実に向き合ってなかったことと、現実に向き合っていたことの違い。経験が与えるものと奪うもの。

「目指してた人が、あたしの先にいなくなった…ずっと支えてくれた人が、消えてしまった」
「曜子さんは、いなくなったりしないよ。あなたのために、一生懸命生き続けるよ」
「人の心は移ろうものなんだって…会って、想いを重ねない限り、色褪せてしまうものなんだって、思い知った」



 どこまでも子供で夢見がちなかずさ。かずさには、現実を見つめる勇気が、現実を受け入れる能力が、全く無い。

「色褪せてなんか…彼の気持ちは、悔しいくらい何も変わってないよ」
「でも現実には、あたしの望みは何一つ叶わない。わかってたことだけど、永遠に知りたくなかった…っ」
「っ…」



 かずさの空想の中の春希は、最終的にはなんだかんだで自分を最優先する存在だったでしょう。その春希像はけして間違いではないと思いますが、それはきっとかずさの理想像の春希とは別物です。

「あたしの小さな世界は、もうすぐ消える。そしたら次は、世界の創造主が消えるだけ…」
「そんな…そんなこと、ない」
「もういい…もう、いいんだ」
「……」
「おやすみ、雪菜。ごめんな、こんな話して。…夜が明けたら、もう少しだけ前向きになるから」
「かずさ…かずさぁ」
「もう、寝るよ。ありがと、雪菜。今夜も、側にいてくれて」



 翌日。リミットが迫り焦り始める春希たちのことなど露知らず、ベッドの中でだらだらしている二人。

「いいのかな、こんなことしてて…」
「何が?」
「コンサートまであと一週間切ったのに、本当に大丈夫なのかな…」
「ああ、そのこと…別に、今は何も気にしなくていいよ」
「今は…って。お前が、今が一体いつだと…」
「それを心配するのは、かずさがあるって決めた後だよ」
「え…」
「あなたが決断するまでは、そんな面倒なこと考えないでいいよ。まだ時間は一週間もあるんだから」
「一週間もって…そんな訳ないだろ。色んな準備期間とか考えたら、もうとっくにタイムリミットなんか過ぎて…」



 この時点で、いやもう昨夜の段階で、かずさはもう諦める方向に気持ちが傾いているのだと思います。

「そうなの?わたし、コンサートとかCD収録とかそういうののスケジュール感がよくわからなくて」
「お前…それでよくレコード会社の広報やってるな」
「一年目の新人ですから。無知も無責任も失敗も全部給料に含まれております」
「…なら、別に失敗してもいいんだな?あたしが『や〜めたっ』って言っても、いいんだな…?」
「うん、いいよ」
「へ…?」
「実はね、わたしはどっちでもいいの。それでかずさが幸せになれるなら、どっちでもいい」
「……」
「どうせ、わたしみたいな新入社員がかぶる責任なんて、全然大したものじゃないし。…それはきっと、春希くんだって同じことだし」
「雪菜…」
「だから、かずさは自分のことだけ考えてくれればいい。あなたがピアノをやめて、それで幸せになれるなら、わたしは全力でかずさの新生活を応援するよ」



 そりゃそうだ。かずさの幸せ=春希の願い=自分たちの幸せなんだから。

「……わざとだろ。わかってて言ってんだろ」
「…なんのことかな?」
「あたしがピアノをやめて、それで幸せになれる道なんかないって…」
「……」
「ずっとピアノしかなかったあたしには…ピアノ以外に何もできないあたしには、もう生きてく方法なんかないんだって」
「かずさ…」
「教えてくれ雪菜…あたしはこれからどうなるんだ?」
「大丈夫だよ…心配しなくていいんだってば」



 この『大丈夫』。さて、この言葉はいったいどっちでしょう?

「あたしの世界が消えた後…やっぱり、あたしも消えてしまうのか?」
「そんなことないよ。消えたりしないよ…」
「じゃあ、残ってしまったらどうなるんだ?真っ暗で独りぼっちの世界の中、ずっと膝を抱えて生きていくのか?」
「ならないよ…かずさをそんな目に遭わせたりしないって…」
「怖い、怖いよ…雪菜ぁ。消えたくない…でも残るのも辛い。世界が壊れるのも、取り残されるのも嫌だ」
「かずさ…かずさぁ」
「なぁ、なぁ…教えてくれよ雪菜。世界を消さないためにはどうすればいい?世界が消えなかったらどうすればいいんだ…?」
「っ…」



 雪菜ではかずさの不安を完全に消すことはできない。だって雪菜はその不安を作ってる一因なんだから。だから黙ってしまう。何も答えることができない。その辺、雪菜はわきまえています。

「う、うぅ…ふぇぇ…ぇぅっ…どうして、どうして…なんであたしだけ…いつもあたしは、こんななんだよぉ…っ」
「違うよ、かずさ…違うんだって」
「何が違うんだよぅ…っ!誰も、いなくなってしまったじゃないか!あたしの愛してた人が、みんな…!」
「いなくなったなら呼び戻せばいい!世界が壊れたなら、もう一度作ればいいんだよ!」
「っ…?」
「作り直せば、いいよ。あなたには、それができる。…神様から、そういう力を授かってる」



 これは雪菜にとっての当たり前の価値観であり、だから雪菜はかずさにとって残酷な存在となります。一度作り上げたものが絶対ではないこと。唯一ではないこと。一度壊れたものでも、また作り直せるということ。今が絶対だと思って生きてる人にはとても厳しい生き方です。

「今までだってやってきたじゃない。あなたの周りの世界は、あなたが自分の力で作ったものだったじゃない」
「あたし…が?」
「あなたのピアノが春希くんに届いたから…その音につられて、春希くんはギターを弾いた。そして、その音たちにつられて、わたしは歌った」
「ぁ…」
「あなたが春希くんを世界に招き入れたから、彼が、一度離れていったお母さんを連れ帰ってきた」
「そうやってあなたは、自分の周りの世界を作ってきたんだよ。全部、自分の力で成し遂げてきたんだよ」
「あたしの…力」
「あなたのピアノには、そういう力がある。人と人とを繋げる、強い力があるんだよ」



 雪菜は良いことを言っています。言っているのだが、なんかこう…腑に落ちないというか。

「人を感動させることのできる、人に力を与えることのできるそのピアノで、あなたはこれからも、世界と触れ合っていくんだよ」
「そうやって、大切な人、たくさん作るんだよ…」
「雪菜…」
「お母さんだけじゃなく、春希くんだけじゃない…もっとたくさんの、あなたを好きな人たちを、あなたの世界の中で、遊ばせてあげようよ?」
「そしたら、そしたらさ、いつか、わたしも…」
「っ…」
「一度はあなたの世界から出て行ってしまったわたしだって…もう一度、あなたの世界の輪の中に…」



 雪菜の説得は、多分に自分の願望が篭っているから、胸に響かず、いまいちストレートに受け取れないのだと思います。せめて「私のために」って言ってくれればもう少しは……。

「やめろぉっ!」
「かずさ…?」
「やめてくれ、無理だ。あたしに、そんな綺麗な世界なんか作れない!」
「できるよ…できるよ、かずさなら」
「できないよ…あたしの狭い心が作る世界に、春希とあたしと雪菜は、一緒にいられない」
「かずさ…」
「だって、あたしは、あたしは…春希の側にいる限り、あいつを諦めきれないよ!雪菜の側にいる限り、お前を妬んじゃうんだよ!」
「かずさ……っ」



 こう言える時点で、これまでに募った想いを告白できた時点で、かずさの中ではそれなりに気持ちの整理がついてしまっているのではないかと。

「……だから、離せよ。こんな酷いこと言うあたしなんか見捨てろよ」
「嫌、だよ」
「お前なんか、あたしの世界に入れてやらない。たとえ世界にお前とあたしなんかいなくても…」
「嫌だぁ…っ、わたし、かずさと一緒にいるんだ」
「あたしだってやだよぅ…だって、だって…春希のこと愛してるんだよ!お前に取られたくないんだよぅ…っ」
「〜っ!」
「母さんとだって離れたくないよ…嫌だよ。たった二人しかいらないのに…どうして二人とも取り上げようとするんだよ!」
「ぃ、ぃぅっ…ぅ、ぅぇぇ…ぇ…っ」
「なのにお前は…家族もいて、春希もいて…そうやって幸せを独り占めして…なんであたしに一つも分けてくれないんだよ!」
「ぃっ、く、う、ふぁぁ…ぁ、ぁぁ…」
「最低だろ、あたし、こんなに醜いんだよ!だから、無理なんだってば!」
「か、かずさ…ぁ。ぅ、ぅぁぁ…かずさ、かずさ…っ」
「離せ、離せよ、雪菜…あたしを…あたしを……っ」


「あたしを仲間外れにしないでくれよぉぉっ!」



 この言葉を引きずり出されたことでかずさの敗北は決まりました。




 雪菜は春希にかずさがピアノを弾くと決断したことを報告します。そして、春希に泣き止まないかずさのために、ギターを弾いてあげるようお願いする。


「笑おうよ、かずさ…これでもう、わたしたちはずっと三人だよ」


「あの、五年前の約束を、今度こそ、果たすんだよ」



 うう……っ。私がひねくれているせいか、全然前向きに受け取ることができない……。

あの時俺は、決めたんだっけ。
もう、どんな小さなステージにも上がらないって。もう俺のギターは、雪菜にしか聴かせないって。
人に聴かせられるレベルじゃないから。これ以上、上手くなれないから。雪菜のためだけに、弾きたいから。
そして…
俺にこの楽器を教えてくれた人と、決別しなくちゃならないから。



 雪菜を何度も裏切り、何度も誓いを破った春希が、唯一守り通した誓いです。

「…ちょっと、痛いでしょ?外からだと、恥ずかしくて見てられないかもね」
「雪菜…」
「でもね…わたしはこうして春希くんに救ってもらった」
「彼に凍らされた心を、彼が無理やり溶かしてくれた。…なんか、自作自演みたいな言い方だけど。それが実際、二年前にあったこと」
「……」
「だから、今度はわたしが、春希くんの大切なひとを…わたしの大切なひとを、助けてあげたい」
「ぁ、ぁ…」



 これってつまり、あなたにも私の大切なものを分けてあげるって、そういう……。

「本当なら、わたしがいないことが、あなたにとって一番の救いなのかもしれない」
「そんな…違…あたし…」
「けれど、それだけはできない…わたしを、仲間外れにしないでね、かずさ」



 残酷な願い、再び。かずさも春希も変わっていないけれど、同じくらい雪菜も変わっちゃいない。

もう、雪菜のためにしか弾かないって決めた、だから、かずさとの間に確執を残した俺のギター。
けれど、俺のそんな卑屈なこだわりも、雪菜は、かずさのためならあっさりと切り捨てる。
三人でいたいって…俺もかずさも、二人とも大好きだって…そんな、五年前からずっと変わらない雪菜の言葉…
五年前からずっと変わらない雪菜の心そのものだって、行動で、示す。



 相変わらず、春希は雪菜の表面上しか見えてないなーと思うシーン。

「雪菜、雪菜…」
「ごめん…二人を苦しめて。みんなを苦しめて、ごめん」
「……ごめんなさいっ」
「やるよ…あたし、やる」
「コンサートも、アルバムも…」
「雪菜のために、母さんのために、春希のために…」
「あたしの好きな人のために。…あたしを好きでいてくれる人のために」
「あたしの作る、新しい世界に来てくれる人のために」
「歓迎の曲…一生懸命弾いてみせるから。どうか、どうか…聴いてくださいっ!」







 かずさが現実と向き合う覚悟を決め、これまでこだわってきた狭い価値観と決別することで、この世界は再び穏やかさを取り戻します。蟠りを打ち明け、表面上似たような関係に戻った3人は、時間を惜しんでCDの収録をしていく。まるであの頃のように、しかし確実に異なる関係で。

 春希と雪菜とかずさ、二人と一人の三人で生きる未来を選び、このシナリオは幕を閉じます。かずさにとっては、愛した春希から大好きな春希へ。そして春希と雪菜は、かずさの呪縛を振り切ってようやく二人で未来へ歩んでいく。

 最後、雪菜から叩きつけられる春希への怨嗟は圧巻の一言。

「本当、酷いよね…。ついこの間までこんなメールを書いてたのに、なにが『ずっと三人で』なんだろうね…」
「やっぱり、あなたは酷いよ…。わたし、せっかく忘れてたのに。かずさと仲直りできたっていう美談に浸ってたのに」
「結局わたし、心の中ではかずさのこと憎んでたんだね。ずっと、嘘まみれだったんだね」
「本当に…そう思ってるの?」
「…わかんない。わたしがあの時、誰のことを一番想ってたのか、今になってみても全然わかんない」
「わたし、かずさのことを愛してる。春希くんのことを愛してる。…もちろん、自分だってとっても愛してる」



 これも今作の本質の一つ。雪菜というヒロインが持つ愛の重さ。

「みんな、みんな愛してるんだよ…。なのに、どうして苦しんでるんだろう。どこからこんな嫌な気持ちが出てきてしまうんだろう」



 ここは全てが本音だと思いますが、でも半分くらいは雪菜の中の理想でしょう。

「あと5分でいい…」
「これから5分間に私が言うことだけは、永遠に、忘れて」
「かずさに嫉妬して、春希くんを疑って、自分を嫌いになって…」
「やり場のない怒りを、一番愛してる人に向けてしまう、嫌な女をやらせて」
「5分だから…5分、だけだから…」
「その代わり、約束の時間が過ぎたら」
「あなたの部屋に、帰ったら…」
「わたしはもう、何もかも『わかってる女』になるから」
「あなたの『帰るべき場所』になってるから…」



 春希にとっての帰るべき場所。かずさにとっての帰るべき場所。じゃあ、雪菜にとっての帰るべき場所っていったいどこなんでしょう?

「そうだね、そうだよね…あなたと出会いさえしなければわたし、こんな、へんてこりんな女の子になっていないよねぇ」
「一つの幸せを手に入れるために、こんなに苦労して…なのに、嬉しくてしょうがない愚かな女の子になんかに、なって…いないよねぇ…っ」
「酷いよ、酷いよ…っ!わたし、ずっとギリギリだったんだよ!今にも折れてしまいそうだったんだよ!」
「あなたに甘えたかった!護ってもらいたかった!でも、そうしたらみんな壊れてしまいそうだった」
「手に届くものを掴んだら、大切なものを手放してしまいそうだった。だから、だから…すごく我慢したんだよ!」
「私が一番頑張ったんだよ!とっても辛い思いをしたんだよ!だからいいよね?幸せになってもいいよねぇっ!?」



 これらの台詞は、事実上雪菜の勝利宣言だと思います。これから先、春希が自分だけを見てくれると確信したからこそ溢れてくる言葉。雪菜と春希の関係が不安定なときには決して出てこない言葉。こういうズルくてキタナいところを含め、雪菜って面倒くさいし重たいけど、可愛いやつよなあだと思えるかどうかが、このシナリオの全てだと思います。

 これは推測ですが、今作の設定は、ストーリー展開が異なったとしても、根本のものは全く変わらないのではないかと思われます。もしそうだとすれば、どのルートでもかずさはいつか親を亡くすことになり、最低でも春希達と和解しなければ一人きりになってしまうことになります。母を失い、日本にも帰れず、一人孤独に耐えて生活しなければならなくなる。だったらなんとかしてかずさを助けないと、かずさは不幸になってしまう。どうにかしてかずさを一人じゃないようにしなければならない。たとえばこの雪菜ハッピーのように。

 しかしだからといって、春希と雪菜がくっついて、かずさも日本に残るこのEDがかずさにとって真のハッピーエンドと言えるのかというと、実際そんなことはないと思います。たとえ雪菜と和解できたって、結局かずさはただ耐えているに過ぎません。春希が言うとおり、かずさにとっての3人は、雪菜にとっての3人とは意味が違いすぎます。だからかずさのことを主体にして考えると、このEDが完全なハッピーエンドだとは言えません。次善なのは間違いないですが、最善だとは言い切れないし、この先本当にかずさがずっと幸せでいられるのかどうかは疑問が残ります。

 このEDを否定してばかりのようですが、このEDになってよかったと思えるところもあります。それは、雪菜が春希と親の和解を目指そうとした点です。かずさシナリオでも他のヒロインとのシナリオでも、こういう結末は見られませんでした。たとえかずさのことがどうであれ、雪菜は春希の世界を広げようとしてくれる。そこがかずさとの一つの大きな差異なのかなと思います。また、もう一点悪くないと思えるところは、かずさがもう一つの帰るべき場所である母親の側にいられるということです。それがかずさの望みの全てなのかと言われれば、まずそんなことはないんですけど。










 かずさシナリオの感想。かずさシナリオはこれまでの流れを否定するような展開になっています。何せこのシナリオ、どちらも圧倒的までに閉鎖的です。これまでに培われてきた人間関係、友情、愛情、それら全てを否定していくかのような物語です。執念深くて嫉妬深い、嫌われようとして実際に嫌われると悲しがり、すぐに剥がれ落ちるメッキを張って虚勢を張る寂しがりやのヒロイン。雪菜とは違った意味でまた面倒くさい女と結ばれるためだけに、春希が色々なものを捨てていくお話になっています。



 かずさノーマルは春希とかずさがただひらすらセックスしてるだけです。現実・社会との繋がりを重視していた雪菜シナリオとはまるで真逆の展開を行きます。これが正しいとは到底思えないけれど、しかしこれがライターの言いたいことなんでしょうか。誰からも祝福されないかずさと春希の恋愛関係は、あるもの全てから迫害されていく。かずさと結ばれるということはこういうことだと、暗に言われている気分になりました。私には彼らが自暴自棄になっているように見えて仕方ありあませんでしたが、全てを捨てたこの関係にどこかで喝采を挙げたくなる感情を持っていることも拭いきれず、微かに爽快感を覚えたことも否定しきれません。

 このエンドは雪菜ノーマルと同じ場面、失踪したかずさを追いかけた春希が、その場の情動に任せかずさを受け入れてしまうところから分岐していきます。そこからはただ肉欲に溺れた二人の関係が描かれていく。かずさが日本からいなくなるまでの関係と言い聞かせながら互いを求め合う二人。しかし次第に春希はかずさに依存し、かずさは春希に依存し、さながら共依存のような状況に陥ってしまう。見ているこっちが虚しくなるくらいの泥沼な関係に。

「なぁ、春希…お前はどうして、あの時のあたしを…」
「あんな、あたしですら大嫌いだったあたしを、好きになって、くれてしまったんだよ…っ」
「捨て犬はなぁ…一度心を開いたら、もうどうしようもないんだぞ?」
「飼い主は、他にもたくさん犬を飼ってるかもしれない。けれど、今まで捨て犬だったあたしにとっては、世界でたった一人のご主人様なんだぞ?」
「二度と、忘れることができなくなってしまうんだぞ?」
「そんなの、単純な理由だよ」
「もし相手に知られてしまったら、五年の恋も一瞬で醒めてしまうかもしれない、ものすごく当たり前で馬鹿らしい…理由だよ」
「望むところだよ…できることなら、あたしを醒めさせてみろよ」
「かずさ…」
「そしたらお前はもう、罪悪感を感じずに済む。望み通り、雪菜の元へ帰れるんだぞ?」
「顔が好みだったからだよ!一目惚れだよ」



 どういった性格が好きとか、どこかで助けてもらったからとか、そんなロマンティックな綺麗事ではなく、現実的で生々しいただそれだけの理由。この作品全てを通してみても断トツに素朴だと思うシーンです。実際のところ、現実の恋愛の大半の始まりがそうだと思うですよね、顔のよさって。顔だってその人を表すパーツの一つなはずなのに、その割には顔が好きだと表立って公言することを避けられている。エロゲだと特にその傾向が強いと思います。努力で変えられない部分だからそこだけを肯定されるのは納得いかないってことなのかもしれませんが、たまにこうやってなんのてらいもなく言われると小気味良い。



 シナリオ展開上で問題になってくるのは、春希が予想よりも弱く、強くなかったこと。雪菜との婚約が表沙汰にされることを契機にして二人の物語は破局へと歩んでいく。春希はかずさとの関係を押し隠し、雪菜に嘘を吐き、雪菜を裏切ながら日常生活を送っていくことに、徐々に疲弊し壊れていってしまいます。春希にもっと雪菜を騙し通すくらいの図太さがあったならまた違った展開になったでしょう。しかし現実には春希は自身の仕事すらままならなくなり、職場に行くことにすら苦痛を感じ始め、ついには仮病を使ってまで仕事をサボり始める。やがて春希は全てから目を背け、かずさを連れて三人で旅行に行った思い出の場所へと向かいます。誰も自分達のことを知らない、誰も自分達のことを気にしない場所へ行く。そんな稚拙な動機で、現実から逃げ出してしまう。ずっとかずさと二人だけの世界を生きていく。そんな夢のようなことを半ば本気で考えながら。

 この先については、先ほど書いたとおり、現実逃避しながらセックスし続ける展開が続くため、語ることはあまりありません。セックス描写について語っても仕方ないし、詳しく書けないし。ということで、引用。

「幸せになれるから、俺たち…。俺が、お前を幸せにするから」
「……っ」
「だから泣くなよ…悲しむことなんか、何もないだろ」
「幸せに…してくれるのか?」
「ああ、約束する。いつかきっと、必ず…」
「いつかじゃ嫌だ…」
「え…」
「今すぐだ……今すぐ、ほんの少しでいいから、あたしを幸せにしてくれよ」
「どうすれば…いいんだ?」
「もう一度…さっきの言葉、言ってくれ」
「さっきの…って?」
「ほら、旅館の人に言った、あの…」
「あ…」
「頼むよ…嘘でもいいから、もう一度だけ聞かせてほしいんだよ」
「嘘なんか…言ってない」
「ぇ…」
「結婚しよう、俺たち。これからは、ずっと一緒にいるんだ」
「……春希っ」
「嘘なんかであるもんか…誰が離れるもんか…」
「春希…お前、お前…っ」
「あの時の…五年前の二の舞は、もう嫌だよ…っ」
「あたしも…あたしもっ!」
「かずさ…もう離さない」
「う、うん…離すなよ。今夜だけは、ずっとあたしを捕まえててくれ」
「今夜だけじゃない…これからずっとだ。だって俺たち、約束したんだから」



「なぁ、春希」
「本当に、本当に…これからも、一緒にいてくれるのか?」
「あたしが行くところに、ずっと、ついてきてくれるのか…?」
「もっと北にでも…それとも、このまま海外にでも」
「このまま……地獄にでも?」



 もはや最後は問いかけですらなく、かずさの自問自答です。これから先一人で生きていくための大切でかけがえのない縁。かずさがいう一緒と春希の思う一緒には、どうしようもないくらいの隔たりがあります。春希をただの思い出として生きる決意をしているかずさと、現実的な判断もせずに夢だけ見てかずさと生きたいと願う春希の間には。



 ぐだぐだでぐずぐずの、どうしようもない恋愛関係に幕を引いたのはかずさです。児戯のような永遠の愛を約束をし合った二人は、しかしその翌日にかずさが春希の元から去っていくことで崩壊していきます。数秒だって持たないはったりで春希を遠ざけようとするかずさに対し、子供のようにだだをこねるだけの春希。結局、このシナリオの春希は最後まで行動できていません。かずさが春希の幸せを思って身を引いただけです。いつも通りでいられなくなった春希のことを慮って。これから先、春希が普通の人生を歩んでいくことと、その場限りの幸せを天秤にかけて、前者が傾いただけです。最後の別れですら、自分の幸せではなく、愛する人の幸せを優先して、自分から手を離した。でも、かずさが強い女なわけがない。私の印象では、この作品の中でもっとも弱いのはかずさです。それも断トツで。心の中では弱音ばかりなのに、好きな人の前では必死で気丈なふりをして、平気なふりをして嘘をつく女。それがかずさです。かずさの願望は、ずっと春希と二人きりの世界に閉じこもっていることでしたが、それはこのシナリオでは叶いませんでした。かずさに与えられたのは、一時的な思い出だけです。

「わたしの強がりを、適当に流すな。額面通りに受け取るな。…泣きそうになるじゃないかよ」



 かずさを失ったことでかろうじて保っていた精神のバランスを壊し、自律神経を病んでしまった春希は、雪菜の力を借りながら少しずつ社会復帰していきます。ノーマルエンドの最後、雪菜が春希を抱きしめているシーンは、絶対この女勝ち誇ってるんだろうなあと感じさせられ、非常に嫌な気分になると同時に、人には自分ではどうしようもできない感情があることを否応なく意識させられました。雪菜って、本当に計算高く、汚い女だと思います。春希との心が離れていきそうになったら、何を使ってでも自分の側に繋ぎとめようとする。効果的に情に訴え、時には自分の肉体だって使う。そしてその気持ちを打ち明けたりはしない。かずさの心情は読者からすればお見通しなんですが、雪菜は時々隠そうとしている。これも二人の違いだと思います。



 中途半端にかずさの存在を求めた春希に訪れた結末。プレイしている最中も、最後までこのような無責任が許されるとは思っていませんでしたが、かといってこんな終結になるとも思ってませんでした。どこかで責任を取らなければならないし、けじめをつける必要はあると思っていましたが、ここまでひどい展開になることを望んでいたわけではありませんでした。

 EDテーマの『心はいつもあなたのそばに』は、見事なまでにかずさの心情を歌っていて、聞いてるだけで切なくなります。体は近くになくても心は近くにそばにあるから大丈夫。『平気なふりをして隠している私の弱さ 打ち明けてあなたをなくすのなら 平気なままそばにいるわ』。たとえ今はそこになくても、過去が励みになれば生きられる人だっている。どうしようもないくらい切ない強がりだと思います。

「…想いの差なんかじゃない。気持ちの強さだけなら、負けない。負け惜しみだけど、これだけは譲れない」
「だってあたしは、春希のためなら何でも差し出せる。全てを捨てることだってできる」
「それでも、あたしが何を誰に捧げたとしても、春希を守ることだけはできないんだ」
「けれど雪菜なら、何も捨てなくても…ただ、今ある力で春希を護ろうとするだけで、ただ、自分にできることをするだけで…」
「それだけで、お前を救える。お前に安らぎを与えられる。…お前を、いつまでも幸せにしてくれる」
「気持ちだけじゃ、できないことはある。あたしはそれを、今までの人生でがなってこなかった。身につけてこなかった」
「…ここに来て、そのツケが回ってきただけだ」
「なぁ、春希…」
「あたしは、お前を護れない人間だ」
「お前を愛することしかできない、駄目な奴だ。お前を何一つ支えることのできない、弱い奴だ」
「雪菜には…一生勝てない女だよ」



 ここにきて千晶シナリオの台詞が思い返されます。二人の想いの量に差なんてあるのかどうか。差が無いのなら、どこで結論を出せばいいのか。いったい、正解なんてものはあるのかどうか。





 このシナリオではかずさが身を引いて物語が終わりますが、ただ忘れちゃいけないのは、春希もかずさもかずさの母が白血病で先が長くないことを知らないということです。かずさの前提は、春希と別れた後、母親と二人で生きていくこと。だから、かずさハッピーでは、そこを踏まえたうえで物語が描かれていきます。二人しかいない大切な人のうち、一人を失ってしまうとわかった時、かずさはどうするのか。雪菜シナリオでは三人目に甘んじたかずさ。彼女が主体になったとき、物語はこんなにも姿を変えます。

「あたし…あいつのこと諦めたんだ」
「……それは一大決心したものね」
「でもさ、あいつに恋することは、一生諦めないから。だから、もう会わなくていいんだ」
「後悔しない?」
「するに決まってんだろ?だってあたし、あいつのこと大好きなんだぞ?」
「……」
「あいつの、大したことないところが、大好きなんだ」
「あいつの、見た目よりも弱っちいところが…あたしなんかに引っ張られるところが…本当に、本当に、愛おしくてしょうがないんだ」
「ま、あんたにはバレバレだったと思うけど、それでも、誰かに話しておきたかった。…あたしの恋は、こんなに素敵なんだぞって」












 かずさハッピー。この作品の集大成といえるシナリオ。かずさ派とか雪菜派とか関係なく、このシナリオと雪菜ハッピーとで評価が分かれそうです。

 このシナリオは、かずさのために筋を通し、これまで培い、積み上げてきたもの全てを捨て、ようやくかずさと結ばれる、という展開になっています。社会から目を背け、自分に嘘を吐き続けたノーマルエンドとは異なる、更に過酷な道を行く。あれでもう十分に重かったのに、二人が幸せになるためにはあれでは足りないと言わんばかりに。

 春希はたった一つ大切なものを手に入れるために、これまでの全てを――これまで育ってきた日本という環境すら捨てます。そこまですることで春希とかずさは結ばれることが許され、ようやくかずさは春希を手に入れることができます。が、当然それは彼ら以外誰も幸せにならない選択でもあります。ようやく掴み取ることができたはずの幸せな季節を否定するということ。このシナリオはそこから目をそらしません。

 かずさシナリオは、ノーマルを読んでいたときも含め、全てを捨てることで掴み取れるものもあるってことなのかなあ、ということを意識しながらやっていましたが、まさかここまでやるとは正直思ってませんでした。人情味溢れるキャラクター効果的に動かして読者にダメージを与えるって手法は、なかなかに斬新で、効果的だったと思います。普通人情味溢れる心優しいキャラは世界を優しく満たしてくれるものですが、逆に罪悪感を募らせ、しがらみを増すものに仕上げてくるとは。アットホームな世界観が、ここにきて逆の意味で心に響きます。読者に対する悪意としか思えないようなひでえシナリオです。春希が自ら居心地のよい世界を捨てたとき、ああ、春希はようやく罰を受けたのか……と呆然としてしまいました。なんだか自分も一緒に罰を受けた気がしました。ようやく訪れた破局であり、当然の末路といえるのに、何もすっきりとしない。全てを捨てて逃げるなんてことは許されないのだと、思い知らされた気がします。

 序盤のプロットは雪菜ノーマルと同じです。手に怪我を負ったかずさを助けるため、春希はかずさとの関係を半ば強引に継続していく。物語が変化していくのは、かずさノーマルと同じように、雪菜との婚約話が取り沙汰されてから。そう、このシナリオでは、春希は雪菜との婚約をなかったことにするため、これから先かずさと二人で生きていくためだけに、会社の同僚たち、周囲の友人たちと、雪菜の家族たち、そして何よりも雪菜本人に対して、釈明し、謝罪し、筋を通していくことになる。数え切れない人たちとの思い出、無数の社会との繋がりを台無しにして。

 そして何よりかずさノーマルと大きく異なるのが、かずさと春希の関係に肉体関係を伴わないところ。実はこれが、このシナリオでグサっときた部分だったりします。多少不意打ち気味に。かずさに嘘の愛すら与えられず、雪菜との板ばさみで苦しむ春希。プラトニックだから許せなんて馬鹿にしていると糾弾されたときは私も息が止まるくらい苦しかった。そう、勝手にノーマルと比較して、これだったらまだ許されるのじゃないかと勝手に勘違いをしてしまっていたから。でもそれは雪菜にとってはもっと辛い話なのだと、肉体も心も繋がって、それでも二人の絆に叶わない雪菜はいったいなんなんだと弾劾されたとき、私に言葉はありませんでした。




 シナリオについて書いていきます。かずさに雪菜との婚約がバレてしまったその翌日、かずさは春希の側を去り、母親が白血病だという事実を知ってしまいます。そして雪菜ハッピーの時と同様に、自分の殻に閉じこもってしまう。

 雪菜ハッピーの時は雪菜にすがり、かずさの説得をお願いした春希ですが、しかし今回の春希には自分を助けてくれる雪菜がいません。そんな春希は、かつての思い出の場所を一人彷徨い歩きます。かつて通っていた大学では何でも自分のことをわかっていそうだった同期生との思い出を。かつて働いていた飲食店ではいつも不機嫌に元気付けてくれた後輩との思い出を。今も働いている会社ではかつて幾度も助けてくれた上司との思い出を。どこで生きていくか、誰と生きていくか、全て決心する勇気をもらうために。既に一度選んだ選択肢を、もう一度選ぶために、春希は一人迷う。

 またその翌日。雪菜ハッピーのときとは違い、春希は自分ひとりの力で閉じこもってしまったかずさに会いに行きます。

 以下、長文引用です。雪菜ハッピーの時と同様、苦情がきたら即刻削除します。

「いつから知ってたんだ?母さんのこと」
「ほんの最近だよ…一週間前」
「どうして母さんはお前に話したんだよ。あたしにも秘密にしてたことを、何で?」
「それは…」
「お前の方があたしより信じられるってのか?あたしよりも、頼りになるっていうのか…?」
「俺が強引に聞き出したんだよ。さっきみたいに、無茶な手を使って押しかけて…」
「だったら、どうしてお前は黙ってた…母さんから聞いたことを秘密にしてたんだよ…っ」
「お前がこうなるってわかってたからだよ…っ」
「……っ」
「だから…だからここ最近、ずっと優しかったんだな。あんなに、わざとらしさ丸出しで」
「嫌だったか、そういうの?」
「そんなことあるわけないだろ…お前に優しくされて、優しくないあたしなんかいない」
「それもなんだかな…」
「けれど、もっと自然にして欲しかった。裏があるって気づかせてほしくなかった」
「お前の求める俺は難しいな…」
「本当はあたしのこと鬱陶しくてしょうがなかったんだろ?でも母さんのこと隠すためには一緒にいるしかなくて…」
「だから、そんな訳ないって何度言わせれば…」
「本当のこと知ったら、あたしが自殺でもするんじゃないかって、そんなこと考えてたんだろ…?」
「思ってない。お前はそこまで他人を思いやれない奴じゃない」
「ぁ…」
「…でも、自分ひとりで立ち直れるとも思ってない。お前、そんな勇気ないもんな。そこまで強くないもんな」
「…随分とわかったようなこと言うじゃないか。まるであたしの保護者気取りだな」
「……ああ、気取ってるよ。俺、お前を護りたいって思ってる」
「そんな…義務感はごめんだ!愛してもくれない男に護られるなんて…っ、そんなの、いくらあたしだってプライドが許さない!」
「ならしゃんとしろよ!一人でも生きていけるって、俺や曜子さんに証明してみせろよ!」
「っ…」
「できないだろお前?そういうの全然できないんだろ!?」
「そ…んなことない…だってあたし、一人だった…五年前までは、ずっと一人で生きてきた…」



 なんて弱弱しい反論。こんなの聞いちゃったら、誰でもこいつは駄目だと思っちゃうよなあ。

「あんなの一人でもなんでもない。お前が勝手にそう思い込んでただけだ」
「っ…」
「曜子さんのお金と、曜子さんの心遣いで護られて、好き勝手にすくすくと育ってきたんじゃないか。…逆恨みしながら」
「それが…それがなんだっていうんだ」
「お前は昔からそうだ。わがままで、だらしなくて、人として間違ってて…見てて、イライラする」
「春希…?」
「しかも悪い女だ。性格も、態度も、そして諦めも。お前のいいところなんて見た目とピアノの腕だけじゃないか!」



 何気にかずさの顔が好きになったことを告白している春希。

「そんな…春希ぃ」
「お前、見た目キンキラキンだけど中身は腐ってる。いくら才能だけ認められても、社会人としては失格だ」
「やめろよ…やめてよ」
「そんな最低なくせに、俺なんかを好きだなんて最低の上塗りだよ。そのせいでどれだけ俺が苦しめられたかわかってんのか」
「そんな酷いこと言わないでくれ…あたしだって…そんなことわかってるよ」
「だから、お前みたいな奴は世界に弾かれて当然なんだ。才能の上にあぐらをかいて、社会と馴染もうとしない、人としては、本当に未熟な奴だから…」
「なんで今になって、そんなわかりきったこと、言いだすんだよぉ…っ!」
「かずさ…お前は本当に駄目な奴だ」
「言うな…」
「誰かに支えられてなくちゃ生きていけないくせに、頼ろうとする相手を選り好みしすぎて自滅して…」
「やめろって言ってるだろ!もう黙れ…黙ってくれよぉ」
「俺と曜子さんの両方ともいなくなったら、どうやって生きていくつもりだったんだよ」
「そんなの知るか!そんなあり得ないこと考えてたまるか!」
「お前がこんなにも駄目な奴だから、どうしよもない弱い奴だから…」
「春希ぃっ!お前はぁっ…!」
「だから……俺がなんとかするしかないだろ?」
「……………ぇ」

…そんなどうしようもない奴、放っておける訳なんかない。
曜子さんがなれないというのなら、俺が『手を差し伸べるべき誰か』になるしかない。

「俺、さ…そんな最低なお前が好きだ。…世界で、一番好きだ」
「………………ぇ、えっ?」
「お前が幸せに生きてくれないと嫌なんだ」
「………………………春希?」

いや……なりたいんだ。かずさの、『手を差し伸べるべき誰か』に。

「お前が幸せになるために…いや、お前が生きていくために、俺が必要だって言うのなら…」
「俺は、お前の側にいる。…たとえ、全てを捨てることになっても」



 かずさのことをひたすら駄目出ししておきながら、最後にはそんなダメなやつは俺がなんとかするしかないと言う春希。思えば春希のかずさへの想いは、3年前に雪菜から記事のことで責められた時から何も変わっていません。駄目で弱くてどうしようもないやつだなんていいながら、優しいまなざしで見守り最後には手を差し伸べる。そんな想いから、何も変わっちゃいない。

「もう、遅いよ」
「どっちを選んでも、俺、もう後悔せずにはいられないんだよ」
「俺しか頼れないお前を見捨てたら、やっぱり俺、一生引きずるんだよ」
「もう、どっちに進んでも、駄目なんだ。何もかも、遅すぎるんだよ。だから俺は…」
「一番、大切なひとだけを救おうって、そう決めたんだ」
「俺はもう、お前の幸せだけなんだ。それだけで決めることに決めたんだ」
「多分、この先…お前も俺と同じでさ、どっちの道を選んでも後悔すると思うんだ」
「だからせめて…自分の選択で後悔するんだ。好きな人を裏切るなら、そのことを覚えておくんだ」
「俺はもう、裏切った。あとはもう、お前だけだ」
「今のまま、辛いまま必死で生きていくか…今よりももっと辛い思いをして、そして、今よりもう少しだけ、幸せになるか…」
「考えて、みてくれ」
「お前が答えを出したら、俺は全力でその通りの未来を切り開く」
「悪魔と、契約してでも、な」



 バレンタイン。運命の日。かずさは5日間の空白を空けて、春希と二人で生きていくという結論を出します。

「春希…お前、今から雪菜のパーティに行くつもりだったんだろ?だから、この駅で降りたんだろ?」
「雪菜に会って、でもあたしのこと何も言えなくて、ただプレゼント渡して、食事して、別れ際にキスして別れるつもりだったんだろ?」
「そして、後悔するつもりだったんだろ?あたしを選ぶのやめようかって。やっぱり雪菜を一番愛してるって」
「わかってた。お前が、まだ揺れてるってわかってたんだよ。何度も死ぬほど後悔するって、気づいてたんだよ」
「……でも、もうおしまいだ」
「空港から、大急ぎでここまで来た。電車も、タクシーも、自分の脚も、全部必死で使って、ギリギリ間に合った」
「あたし、お前を止めに来た…捕まえに、来たんだよ」
「もう…雪菜と会わないで」
「春希…雪菜を、裏切ってくれ。そして、あたしを選んでくれ」
「お願いだ…ずっと、ずっと、あたしの側に…っ」







 バレンタインから遅れること2日。雪菜と二人、有明で誕生日パーティをやり直す春希。不自然に生まれた空白を焦って埋めようとせず、穏やかな一日を過ごす二人。でもそれは、必死に我慢を重ねた結果生まれた奇跡的な時間だっただけで……。春希の良心に訴えかけるように、穏やかに二人の思い出を、歴史を語る雪菜。雪菜の想いを察した春希は、回りくどいことは避け、率直に別れようと告げてしまいます。

「あたしって、最悪だよな」
「だって、ドラマや映画だったらさ…あたしみたいな邪魔者の脇役は、最後には身を引いて姿を消す役回りだろ?」
「なのに今でもこうして物語の中に居座り、ヒロインを不幸にしてまで、主人公を自分だけのものにしようとしてる」
「自分で動かないところだけは脇役のままでさ…主人公が何もかも解決してくれるのを期待して…なんて、いやらしい女なんだろうな」



 雪菜に一方的な別れを告げてから、春希は自身の身辺整理を進めていく。まずはこれまで生活してきたマンションから。彼女と一緒に海外へ駆け落ち、なんて、三流ラブロマンスみたいな話ですが、この物語がありきたりの話と違うのは、春希が日本を捨てて海外へ行くことになったからといって、全てを無責任に放りなげることを許さなかったところです。けじめをつけることから逃げなかった。きちんと社会に根を下ろして生きていく人生を否定させない。こんなかけがえの無い素晴らしいものを自分の意思で捨てて、かずさを掴み取るのだということから目を背けない。

 春希にとって、大切なものとの決別が始まっていきます。

「かずさは、周囲にどう思われるかはさておき、本人の中では、最高に幸せに生きていける。だって、最愛の男に護ってもらえるんだもの」
「けれどあなたは…誰も護ってなんかくれない。だって、かずさにはそんな普通の力なんてないもの」

「俺は…かずささえいれば、大丈夫ですよ?」
「あいつに護ってもらおうなんて思ってません。これからも、自分の人生は自分で切り開きます」



 アルバイト時代から世話になってきた会社へのけじめ。無断でやめるのではなく、辞表を提出したうえでの退社。春希にはどんな選択だって取れたし、それこそかずさノーマルのように全て投げ出したってよかったのに、それを選ばない。なんで辞める前に相談しなかったと上司から責められ、同僚からも奇異の目で見られ。何も得することなんてないのに。



 学生時代から長年連れ添ってきた友人達へのけじめ。ただ雪菜の味方だけをしてくれるならまだ楽だっただろうに、なぜか友人達は春希の弁護をしてくれる。春希を罵るのはただ雪菜のことを想っている朋だけ。ただのちょっとしたすれ違いなんだろと。また元通りになるんだろと。長く培ってきた友情を信じて、春希の味方をしてくれる友人たち。春希だってそんな未来を望んでいた。また何事もなかったように、ずっと一緒だったみんなへと戻ることを。しかし、春希はその未練の全てを叩き捨て、かずさと自分の間にあったことの全てを告白します。

 友人達から溢れてくる怨嗟の言葉。なぜ雪菜じゃなくてかずさなのか。その一点だけに答えを求めて。体の相性がよかったのか、そんなに気持ちよかったのかとかずさのことまで侮辱され、かずさと寝てなんかいないと訴える春希。あいつはそんな女なんかじゃないと。必死でかずさを擁護する春希に、しかし向けられる視線はとても乾いている。

「……なにそれ、最低」
「寝てもいないのに、何もしていないのに、取り返しがつかなくなった訳でも、重いもの背負った訳でもないのに…」
「ただ、彼女を愛してるからって理由だけで、雪菜を、切り捨てるの…?」
「じゃあ、雪菜はなんだったの?心と身体の両方の繋がりを合わせても、彼女との心の絆に敵わないって言われたんだよ?」
「雪菜はなんだったの?そんなのが免罪符になるとでも思ってるの?春希…あんたどれだけ雪菜を見下してんのよ?」
「これだけ周囲をボロボロに壊して、自分たちはプラトニックですって…」
「最低の純愛だね。吐き気がする」
「いいよ、もう…二人しかいない世界で、仲良くおままごとやってりゃいいじゃん」
「どれだけ周囲を不幸にしてもさ…純粋な二人にはお互いのことしか見えないからいいよね」
「かずさはさ…ずっと色々あって、こんなに有名になっても一人ぼっちで…だから俺が…俺しか」
「雪菜は色々ないからいいんだ?一人ぼっちじゃないから捨ててもいいんだ?」
「そんなこと言ってないだろぉ!」
「言ってるよ春希…雪菜は自分がいなくても一人じゃないから、可哀想じゃないから捨ててもいいって、言ってるよ…」



 この言葉が完膚なきまで私を打ちのめしました。全てがその通りだったから。
 予想していた反応とは違う反応を返され、思っていたのとはまた違う破局に苦しむ春希。それでも、春希はかずさを選ぶため、全てを切り捨てていきます。

「けど俺、お前の親友だから。望みがないってわかってるけど、それでも、お前の親友だからさ…」
「だから、これが最後の頼みだ…頼むよ春希…元のお前に、戻ってくれよっ!」
「お前が一言、雪菜ちゃんの元に戻るって言ってくれれば、俺が何もかも元通りに戻してやる」
「依緒も、朋も…みんな説得する!お前の言ってしまったこと全部なかったことにしてやる!だから、だから…」

あ、こいつ…

「頼む…頼むから撤回してくれ!悪い冗談だったって、笑いながら謝ってくれればいいんだよ!」

本物の親友、だったんだ…
俺にとって唯一の…もう、二度と出会えないかもしれない存在、だったんだ…
雪菜ともかずさとも違う、もう一人の、世界で一番大切な…



 春希はそんなかけがえない存在すら捨てなければならない。かずさを手に入れるだけに、それほどまでの犠牲を払わなければならない。今までの居心地がいい世界なんて許されない。これ以上話しても平行線だと、突き放し、春希は親友の元を去っていく。一生許さないという言葉に、ずっと真の友情があったことを信じていけるという救いを抱きながら。


 もう十分に傷ついたと思える春希に、さらに追い討ちをかけるような電話がかかってきます。友人達との決別を経て疲弊しきった春希には、失ったものを嘆く時間も与えられない。筋を通すうえでは絶対に避けられない、雪菜との家族へのけじめ。雪菜との、婚約について。これは家と家の話です、本来なら。でも春希を護ってくれる人はいない。春希に家族と呼べる人はいない。自分を助けてくれるような人は、もういない。だから春希は自分でなんとかするしかない。

 雪菜不在の小木曽家で、雪菜の両親との話が始まる。雪菜との婚約について。一度、明確に、将来のことを申し込んだこと。結婚を前提にした、約束をしたこと。確かな愛情があったこと。それら全部、嘘ではなく、誠に存在していたこと。そのことを肯定したうえで、春希はプロボーズを撤回する。雪菜とは、結婚できなくなったと。他に好きな女性ができたから、もう付き合うことはできないと。積み重ねてきた信頼を裏切っていく。雪菜への愛を裏切った結果。愛する女についていき、ウィーンへ行くことも告げる。ズルをせずに、全てを伝える。そして去り際、全ての話を聞いていた弟に殴られ、完全な破局を迎える。

「……余計なことしなくていいよ」
「わたしたちの…"三人"の問題だよ。あなたたちは、関係ない」

「どうしてみんな、春希くんを追い詰めるの?なんでそんなに急いで結論を出そうとするの!?」
「まだ終わってない…わたしたち全然終わってないのに!どうして関係ない人たちが勝手に終わらせようとするのよ!」



 殴られてケガをした春希を追いかけてきた雪菜は、公園で春希の手当てをする。これまでのことを、まるでなかったかのように。

「三人でいいよ」
「ううん、三人がいいんだよ。だから、何も終わってないんだよ、わたしたち…」
「そうだよ…だって、それこそが、わたしが昔から望んでいたことだもの」
「春希くんと、かずさと、わたしの三人に戻ろう?あの学園祭の…祭りの前の日に、戻ろうよぉ?」
「わたしのせいでかずさがいなくなって、もう二度と実現できないって思ってた」
「だから春希くんと二人で、同じ大きさの、違う幸せを積み上げていくことになるんだって。一緒に、生きていくんだって、そう信じてた…」
「けど、けど…それができないのなら…」
「ううん、違う!できないのは辛くない、悔しくないっ」



 こんなすぐにわかる嘘を吐いてでも春希とかずさにぶら下がろうとする雪菜が痛々しい。

「ただ、5年前の…今と同じくらい、ううん、それ以上の幸せに包まれるだけだよ」
「だから、ねぇ、春希くん。わたしを、入れてよ…仲間はずれに、しないでよぉ…っ」



 しかし、そんな都合のいい選択が認められるわけがありません。春希は、かずさと一緒にウィーンへ行くことを告げます。そのことにショックを受けながらも、それについていくと主張する雪菜。これからもずっと一緒にいると、足手まといにならないようにするからと。春希とかずさに譲歩してまで一緒にいようとする雪菜を、春希は冷酷に突き放します。

「だって雪菜には家族がいる、依緒がいる、柳原がいる。他にもたくさんの、繋がる人たちがいる」
「そんなのなくしたっていい!」
「家族も、友達も、仕事も…わたしたち三人以外に、欲しいものなんか何も…」
「いいわけないんだろ!そんなの耐えられるわけないだろ!」

そんな歪な選択をしてしまったら、傷つくに決まってる。
だって雪菜は、周りと触れ合わずに生きていられない。
誰かに頼り、頼られ、自分の持つ強さで人を助け、自分の抱える弱さを人に助けられながら、生きていくしかないんだ。
…雪菜が、というより、世界のほとんどの人が、だ。
雪菜は、世界の中でしっかり根付いて生きていく樹木のような…普通の人間だ。
だからこそ地面から…世界から切り離されると枯れてしまう。
それに…

「雪菜だけじゃない。かずさだって…」
「い、至らないところは改める。無理せずに頑張る。かずさとしっかり話し合う。だから、だから…だから…っ」
「無理だよ…雪菜がいくら頑張っても、かずさが頑張れない」
「っ…ぃ、ぅ…取らない、取らないよ…もう、かずさの春希くん、取ったりしないからぁ…っ」
「……っ」
違う、違うんだ、雪菜…
かずさだって、まだ雪菜のことが好きだ。ずっと、好きなままでいたんだ。
でも…違うんだ。雪菜の『三人』と、かずさの『三人』は違うんだ。
雪菜の求める『三人』には、周りに広い世界がある。
自分たちを取り囲む暖かさや、優しさや…時には厳しさにみんなで触れながら、大きく広く、正しく生きていく、そんな生き方だ。
でもかずさは、違うんだ…
5年間、どれだけ世界を広げようとしても駄目だった。曜子さんと、そして思い出の中にしか居場所を見つけられなかった。
ピアノはかずさを広い世界に知らしめた。けれどピアノは、広い世界をかずさに与えられなかった。…かずさが、拒絶したから。
雪菜が樹木なら、かずさは浮き草だ。地面に根を張って強く生きていくことはできないんだ。
地面と、世界と隔絶したところで、水から少しずつ栄養をもらって生きていくしかないんだ。

「俺だけ、なんだ。あいつに必要なの、俺だけ、なんだよ」

好きか嫌いかじゃない。
今まで広い世界と触れあって生きてきたけれど、別に、世界(おや)と触れあわずに生きていられる俺だけが、浮き草の水(かずさのせかい)になれるって…ただそれだけ。

「雪菜…もう俺のこと忘れてくれ」

けどそれを説明したところで、雪菜にはわかってもらえるわけがない。

「俺も、雪菜のこと、忘れるから」

だから告げるのは、一方的な別れの言葉だけ。

「かずさと行くよ…俺、かずさと一緒に行くんだ」

かずさと、行く。
もう、俺たち以外には誰もいない、かずさのためだけの世界で、俺は生きていく。
かずさを守るため、これからも俺だけは世界と触れていくかもしれない。
けれどその茂樹を、かずさのところに持ち込まない。
もう、揺れない。
かずさと俺の世界に、誰も、入れない。



 春希は、雪菜に決定的な別れを告げ、雪菜の元を去っていきます。単純に雪菜との別れだけではなく、これまで作り上げてきたこの世界にも別れを告げて。

そして、永遠の幸せを生きる。
大切な人たちを根こそぎ踏みにじっておきながら…
いや、踏みにじってしまったからこそ、俺たちだけは、幸せにならないといけない。
でないと、あれだけ多くの人を踏み台にした意味がない。



 これで全てのけじめはつけ終わった。あとはかずさの追加公演を終えて、ウィーンへ旅立つだけ。いくつものけじめをつけた春希は自分の仕出かしたことを後悔しながら決意を固める。実際春希はよくやったと思います。その行動の可否はともかく、けじめだけは貫き通した。ただの自己陶酔だとしても、ただの自己満足に過ぎなかったにしても、無言で逃げることだけはしなかった。そこだけは、認めてあげてほしいと思います。

 ただし、物語はここではまだ終わりません。




 追加公演の前日。雪菜とかずさは再会します。雪菜ハッピーでは足繁くかずさの元に通った雪菜ですが、このシナリオではその逆を行く。

「そんなことある。あなたはたくさんのものを持っているよ」



 この含みのある台詞には、思わずぞくっときました。

「ピアノに、賞に、女性としての魅力。それに、それに…」
「愛する、ひと」
「全部、かずさが持ってる」
「いつの間にか、かずさのものになってる…」



 胃が痛くなるようなやり取りを繰り広げる二人。同じ時間、違う場所で、会社の人達と円満な別れをしている春希の姿が演出として効いています。理解者が残っていたということ。これこそが春希の行動の結果だと思います。

 愛する人を奪ってごめんと謝罪するかずさに、雪菜はどこか夢見心地で答える。
 

「三人でね…三人でいればいいの。これからも、ずっと」
「……」
「だから、謝ってもらうことなんかない。だって、みんな一緒に幸せになるんだから…」
「…無理だよ、雪菜。それこそ、ただの夢だ」
「どうして…?昔はできてたのに、なんで…」
「何言ってんだよ…昔から、全然できてなんかいなかったよ」
「え…」
「三人でいることに耐えられなかったんだよ、あたし。だから、逃げ出したんじゃないか」
「……」
「全部、あたしの独占欲がいけないんだ…」
「かずさ…」
「三人でいることがどれだけ楽しくても、気がついたら雪菜を妬んでるんだ。憎んでるんだよ、あたし」
「雪菜のことをどれだけ好きになっても、雪菜と一緒にいる…春希と愛しあってる雪菜は、絶対に許せないんだよ…」
「……」
「だから、これらかも一緒に歩いていけない。雪菜から春希を奪うしかないんだ。たとえ…」
「思い込み…じゃないのかなぁ」
「え?」
「…あなたの求めてる春希くんは、本当に、今ここにいる春希くんなのかなぁ」
「…なんだよ、それ」
「ずっと会えなかった五年間のうちにかずさが作り上げた理想の存在…アイドル、なんじゃないの?」
「っ…雪菜!」
「わたしはずっと、本当の春希くんを知ってる」
「三年間、ずっと遠くから見てきた。二年間、ずっと側で見てきた」
「雪菜…お前、ついさっき言ったじゃないか。あたしの気持ちが変わらないこと知ってるって…」
「かずさの気持ちが変わらなくても、春希くんは変わってしまったんだって、どうして思えないのかなぁ」
「あたしの想いが、嘘だって…ただの思い込みだって言うのかよ…?」
「じゃあかずさは、春希くんの欠点をどれだけ知ってる?」
「……」
「わたしは、嫌なところも駄目なところも沢山知ってる。…それ以上に、いいところも、素敵なところも、数え切れないくらい知ってる」
「かずさが五年間、ずっと夢の中で描いてきた春希くんなんかとは違う…本物…なの」
「あたしが…本当の春希を見てないって言うのか?」
「違う…かな?」
「ふざけるな…あたしの頭の中にいる理想の男が、こんなにもあたしを苦しめるもんか、泣かせるもんか」
「かずさ…」
「あたしを受け入れるまでに、あんなに迷うもんか。…あたしを選ぶことで、あんなに傷つくもんか」
「たとえあたしの五年間が全部夢だったとしても、それでもあたしはこの数日間、現実と戦ったんだ…」
「そしてあたしは…理想と現実のギャップに、押し潰されたりしなかったんだ」
「……」
「今の春希が好きだ…」
「わたしだって、今の春希くんが好き」
「根っこのところで全然変わってない、あの杓子定規がやっぱり好きなんだ」
「ずっと苦しんで、昔以上に頑張って、少しずつ、優しく、強く変わっていった彼を、変わるたびに新しく愛していったんだよ」



 このやり取りを見て思うこと。それは、雪菜は自分の優位性が保たれていなければ、かずさに優しくできないということ。それが全てとは言いませんが、雪菜の愛はどちらかといえば見返りを求める愛で、かずさの愛はどちらかといえば見返りを求めない愛だということ。

「……」
「……」
「わかってたけど…あたしたち、もう元通りに戻れないんだな」
「……」
「ただ、償うしか…」
「……」



 本当なら話はこのまま平行線。しかし雪菜は壊れたふりをして同じ話を繰り返そうとします。私は雪菜が理性を持ってやっていると確信しています。会社から大きな仕事を任されなくなったという話は本当でしょうが、でも、これもかずさを折るための行動なのだと思ってます。

「ね、かずさはどう思う?わたし、本当に壊れちゃったのかな?」
「そんなのあたしにわかるわけない。だから病院に行こう?」
「でも、壊れちゃってもいいかぁ…」
「雪菜!」
「だって、わたしが壊れてしまったら…何もかも忘れてしまって、もう、彼なしには生きていけなくなってしまえたら…」



 相手の責任感につけこもうとする雪菜。『しまえたら』と言っている時点で確信犯。

「そんなこと言うなよ…そんなこと、言わないでくれよ!」
「ね、かずさはどう思う?わたし、やっぱりあなたに勝てないかなぁ?」



 ある意味、もう脅しの駆け引きである。
 春希が苦しみかずさ自身も苦しむことを認めたうえで、それでも春希を諦めないと告げるかずさ。平行線だし、話しても忘れちゃうし、何も解決しないし、話しても無駄だから帰ったら?と提案するのは他でもない雪菜。かずさじゃなく、雪菜。それでもかずさは雪菜に告白する。

「あたし、雪菜のこと好きだ。好きだし、尊敬してる」
「お前は、初めて会ったときから正しい人間だった。春希と同じ…ううん、あいつ以上にまっすぐで、強かった」
「あたしには、雪菜のその正しさが怖かった。そして眩しかった」
「だってあたし、何もかも間違った人間だから。雪菜と正反対だったからさ…」
「なのにお前はさ…あたしとぜんぜん違ういい奴のくせに、男の趣味の悪さだけは、嫌になるくらいあたしと同じだった…」
「だから、裏切った。あたしのこと、わかろうとしてくれた…好きになってくれたお前を、一番酷いやり方で、二度も」
「あたしには、それを止められない」
「悪いことだってわかってる。許されないって知ってる。けど、裏切らずにはいられないんだ」
「あたし弱い人間だから、あたしが卑しい人間だから、お前から、春希を奪うしかないんだ」
「だからもう、三人でいられない。雪菜のせいじゃなくて、春希のせいじゃなくて、…あたしのせいで」



 どこか儚さを感じさせるかずさの告白も、聞いてなかったと主張する雪菜。独り言だから気にするなといい、かずさは続ける。

「だからさ、雪菜…」
「あたしの憧れだった強い雪菜が、あたしのせいで、その強さを失ってしまうなら…」
「あたし、代償を払う。…ピアノ、あげるよ」
「…そんなの、何の意味もない」
「ああ、そうだな。単なるあたしの自己満足だ」
「家事なんか何もできないけど、そもそも、人の役に立つこと何もしないけど」
「あたしが雪菜にしたことに比べれば、全然足りないのはわかってるけどさ…」
「でもあたしにはピアノしかないから。他には何も持ってない駄目な女だから…」
「だから…ピアノを捨てるくらいしかないんだ。ごめんね、雪菜」



 雪菜とかずさの大きく異なるところです。誰かへの行動理由が違いすぎます。かずさは覚悟を決めて雪菜に会いに来ました。ただ償うためだけに、一番大切なものを差し出そうとする。簡単に己の大切なものを手放そうとする。雪菜ハッピーのときの雪菜は違います。あの時の雪菜は、自分のためとはいえ、かずさを説得するために動いていました。端から諦めているかずさとは全然違います。ここがかずさの決定的なまでの脆弱さだと思います。繰り返し相手を説得しようと思わない根気のなさ。自分が傷つくことで相手の溜飲を下げさせようとしかできない幼すぎる発想力。それが誠意だと思ってしまう人生経験のなさ。

 ガラスで自分の指を切り刻もうとしたかずさを、しかし雪菜は止めてしまいます。

「なんで…」
「なんで…止めるんだよ」
「あたし、お前の幸せぶち壊したんだぞ?人生、狂わせたんだぞ?」
「しかも、これで二回目なんだぞ?雪菜と春希のこと、邪魔ばかりしてたんだぞ?」
「……不倶戴天の敵、なんだぞ?」
「少しは…恨みを晴らそうとか思わないのかよ。あたしを同じ目に遭わせようとか、考えないのかよ」



 それに対し、雪菜はただわからないと繰り返します。

「わからない…わたしには、何もわからない」
「自分のことも、春希くんのことも、かずさのことも…」
「もう、何もかも、わからないんだよ…」



 雪菜に自身の精一杯の誠意を見せることもできず、むしろ助けられてしまったかずさ。春希はそんなかずさに馬鹿なことをするなと窘めます。

それはとてもこいつらしい…考えなしで、無鉄砲で、意味のない行動だった。

「許されるとは思ってなかった。それでも謝りたかった。償いたかった。…話を、したかったんだよ」
「だって大事なんだよ…それくらい、お前のことが大切なんだってば」
「……大事な物を手に入れるために、大事な物を捨てなくちゃならないなんて考えこそ捨てろ」





 そして、追加公演当日。雪菜との最後の対話シーン。かずさのコンサート本番直前になって、春希は雪菜が行方不明になってしまったことを知らされます。やっと幸せになれる、これで順風満帆な道を歩んでいける、全てに清算をつけたと思われた二人に、最後の試練が立ち塞がります。

 かずさのコンサートを放り投げて春希は夜の街を走り回る。まるで序章の終盤、かずさを求めて走り回っていた時のように、無心になって。それでも雪菜は見つからない。そこで春希は、雪菜の家族を尋ね捜索願を出させるという反則じみた手段を取ります。春希は相手の良心を利用するずるいやり方だとわかっていながら雪菜にメールする。そんな想いを知ってか否か、雪菜はそんな春希たちに心折れ、家族に無事を知らせます。

 雪菜からの足取りを掴んだ春希は、ようやく雪菜と再会する。それは、二人の関係が終わりを迎えた場所でした。目の前の春希を眺め、うわ言のように意味深なことを呟く雪菜。「逃げた意味、無かったなあ」「ほんと、台無し」「いっつも裏目に出ちゃう」「わざと考えなかったんだよね」。雪菜が一体何を言っているのか、その心理に気づくことなく、話は進んでいきます。

「五年だよ…?」
「三年間、ずっとあなたとすれ違って、二年間、ずっとあなたと触れあってきたんだよ?」
「嬉しいことも、悲しいもこと、ずっとあなたと二人で積み上げてきたんだよ?」
「もう、心も体も絡まっちゃって、今さら剥がせないよ」
「無理やり引き剥がしたら、それはもう、小木曽雪菜じゃないよぅ」
「あなたは…無理矢理引き剥がしても、それは、北原春希って言えるの…?」
「自分を、保てるの?」
「わたし、そんなにあなたに影響を与えられてなかった?そんなに…あなたと絡み合うことはできなかったの!?」



 これくらいの恨み言は黙って受け止めないといけないでしょうし、事実春希は黙り込んでしまいますが、しかし雪菜はそんな黙り込む春希を見て、泣き止んでしまいます。

「そんなに悲しい思い出に浸っているはずなのに」

そして数秒後、ふたたび口から零れた雪菜の声は。

「世界がなくなってしまうような辛さに襲われてるのに。本当に、世界と同じくらい大切なものをなくそうとしているのに…」

震えてはいたけれど、儚さは取り払われていた。

「それでもわたし、そんなときに携帯の電源を入れた。…家に、電話したんだよ」

少しの怒りと、苛立ちと…そして、更にほんの少しの安堵と、嬉しさが感じられた。

「お母さんは、泣いてた。お父さんは、わたしの無事を自分のことのように喜んだ。孝宏は、わたしのこと、ずっと探してたって…」
「っ…」

漏れそうになった『よかった』という言葉と、歯を食いしばるほどの嬉しさの表情は必死で隠した。
本当に嬉しくても、それを彼女に示す資格を失っているから。

「ごめんね、春希くん。…ううん、もう春希くんには関係ないかもしれないけど」

関係ないことなんか、あるもんか…

「わたし、あなたに言ったよね?日本を捨てるって、二人についていくって。それが、できるって…」
「あれは…」
「でも、嘘だった、それ。わたしは、小木曽家の子供であることをやめられない。日本人でいることもやめられない」
「っ…」



 雪菜はあくまで生まれ育ったところに根付いているということ。浮き草のようなかずさとは違うということ。

大きく、頷きたかった。
資格がなくても、関係ないなんて思いたくなかった。
ただ一方的に自分の思いを募らせ、そして必死で思い留まるくらいは許して欲しかった。

「わたし、最後の最後で壊れ切れなかった…あなただけに、こだわりきれなかった…」

だって、そうじゃなければ、雪菜じゃない。

「こんなにも悲しいのに、こんなにも心が引き裂かれてるのに…」

理性的にも、感覚的にも、どっちにも振り切れてしまうことはない。



 でもそれってつまり、クレバーってことです。

「でも、考えちゃったんだ…お父さんもお母さんも孝宏も、心配してるだろうなって」

いつも両方持ってて、いつも揺れてて。

「依緒や武也くんや朋、探してるんだろうなって。会社の人たち、連絡取れなくて困ってるんだろうなって」

必死で折り合いを付けて、自然とバランスを取って。

「そういうこと、考えちゃったんだ…」

俺の愛した小木曽雪菜は、そういう子だ。

「もう何もかもどうでもいいやって、投げ出すことができなかったんだ……」



 この告白が今作に根ざすものです。このシーンが雪菜ハッピーのかずさと雪菜の対話への答えとなっています。雪菜はシナリオを越えて、かずさの説得に使った材料を実践しています。

 このシナリオでは、三人の平均を取りませんでした。平均を取らなかったから、三人全員が幸せな未来はもうあり得ないのです。平均って何なのかといえば、幸せの平均です。これは雪菜ハッピーの話ですが、かずさとは違って、家族がいて、春希もいて、幸せを独り占めしているにも関わらず、そのことをかずさに指摘されても、一切言い訳しないでただ泣いている雪菜はずるいんです。あれは確かに残酷な台詞ですし、雪菜を傷つけるためにあるかのような言葉ですが、このときの雪菜は傷ついてるから泣いてるわけではないと思います。ただ、反論の余地がないからです。環境については別に雪菜が悪いってわけじゃありません。むしろかずさは努力してこなかったから一人なわけで、こればかりは完全なる八つ当たりでしかありえません。しかし、そこから更にかずさも側にいるよう求めるのは、雪菜のわがままなんです。序章の感想でも書きましたが、雪菜は既に十分幸せなくせに、さらに幸せになるためにかずさの不幸を強いています。本当に強欲で、傲慢で、自分勝手です。

 そして家庭環境の違いは本人にはどうしようもありませんが、残酷なことにかずさと雪菜の大きな違いはここということになります。いや、具体的にいえば、少し違います。雪菜を守っている世界こそが決定的なまでに雪菜とかずさを分かつものです。『みんな』にとっての中心の雪菜と、『みんな』の中に加えてもらう立場のかずさ。何も持っていないが故に春希しかいないかずさと、満たされているが故に全てを捨てられない雪菜。だから極端なことを言ってしまえば、雪菜には春希がいなくても誰かがいるし、かずさには春希がいなくなったら何も無くなってしまう。雪菜には春希がいなくてもきっと大丈夫。根本にあるものは、この結論に尽きます。依緒の指摘は、実に確信を突いています。これは雪菜にとって本当に理不尽極まりない展開だと思います。だって、こうなってしまっているのは、別に雪菜が悪いわけでありません。むしろ雪菜が努力したからこそ、この世界を手に入れることができたわけです。雪菜が普段から人の繋がりを大事にしてきたからこそ、この宝物を手に入れることができたわけです。その理不尽に気付いたからこそ、雪菜は一度全てを投げ出したくなったのだと思います。自分を優しく包み、優しく守ってくれる世界を。これまで培ってきたもの全てが自分を縛り煩わしく感じさせるなんて、絶望でしかなかったでしょう。

 かずさにとっては唯一無二なのに、雪菜にとっては大事だけど、唯一じゃないということ。つまり――あなたがいなければ死んでしまう、側にいてくれなきゃ死ぬ。これくらいの強引さをもてるかどうかというただ一点の違い。いや、それが正しい考えだと思ってるわけじゃないです、念のため。でもきっと、雪菜の頭にはそういう選択肢はなかったのだろうなあと思うわけです。なりふり構わぬ覚悟までは持つことができない。雪菜は、ヤケになりきることができません。

「なんなの、なんなんだろう、わたし…」
「駄目だった。あなたに捨てられても、世界と自分を切り離せなかった」
「だから、かずさに勝てなかった。春希くんのために、平気で全てを捨てられるかずさを超えられなかった」
「やっぱり、かずさより本気じゃなかったんだ…あなたのこと、そんなでもなかったんだよ…っ」



 果たして相手のために捨てられることが想いの強さに繋がるのでしょうか。春希は否定したくて、否定の言葉を思い浮かべては、心にしまいこんでいきます。誤解を避けるためにもきちんと明記しておきますが、社会的な生き方として間違っているのはかずさの方です。どう贔屓目に見ても雪菜の生き方の方が健全だし、受け入れられやすい。でもそんな慰めが、雪菜にとって何の救いになるというのか。



 二人の距離が絶対的なものとなり、やがて対話も終わります。何度も酷い真似をしてごめんと、かずさとのコンサートを邪魔したことを謝る雪菜。きっとこれが雪菜にとって最後の悪あがきだったのだと思いますが、しかし春希は謝る必要はないと告げる。あいつは今、間違いなく最高の演奏をしているから心配する必要なんてない、と。



 昨夜のシーン。今度こそ私の演奏を聞いてくれと、これからもずっと見守っていてくれと春希に寄りかかるかずさに対し、春希は優しく語りかけます。

「ああ、見守ってる。…けど、それはいつも側にいるってことじゃないぞ」
「俺は、これからはお前のために生きる。お前が、何もかも切り捨てた小さな世界の中でも、少しでも笑顔で、幸せでいられるために…」
「まさか……来ない、のか?」
「い、行くよ!絶対に行くって!ちゃんとそう言ってるだろ?」
「で、でも今…側にいないって」
「勝手に都合の悪いように解釈するなよ…これからは、そういうこともあるって話だよ。…明日のことじゃない」
「じゃあ、いつのことなんだよ…」
「わからない」
「わからない、って…」
「やっぱり明日かもしれないし一年後かもしれない。もしかしたらそんなこと、一生起こらないかもしれない」
「けど、これからはお前が護ってくれるんだろ?ずっと側にいてくれるんだろ?」
「ああ、青間は絶対に俺が護る」



 春希がずっと側にいることを誓ってくれず、不安そうなかずさ。でも確かに、肉体の繋がりには限界がある。かずさがケガをしたり、春希が病気になったりしたら?その度に二人は揺るがなくてはならないのか。

 春希は言います。

「だから、お前の側にいることと、お前を護ることが両立しないときは…迷わず、護ることを優先する」
「お前を護るためには、一緒にいられない時だってある。これからだって、そういうことはあるんだよ」
「なぁ、かずさ…俺は、これからの人生、ずっとお前のために…お前と一緒に生きるために使う」
「でも、お前を幸せにするために、側にいることよりも大切なことがあったら、俺はその時、お前の隣にいないかもしれない」
「お前のために働いたり、お前のために距離を置いたり、お前のために戦っているかもしれない」
「だからお前は、そういうときはただ信じろ。…俺が今そこにいないのも、お前のためなんだって」
「それがお前にとって裁量の選択だからこそ、俺は今、お前の側にいないんだって」」
「でも、心はいつでもお前の側にいるから。そこにいなくても、ずっと繋がってるから。もう、いい加減に信じろよ…」



 心はあなたのそばに。かずさノーマルとはまた違った意味での永遠です。

「なぁ、春希」
「ん?」
「あたしはさ、これからもピアノ以外は何もできないかもしれない。…ううん、多分その可能性が一番高いと思う」
「何を今さら」
「金銭感覚がなくて、家事もできなくて、もしかしたらピアノで金を稼ぐこともできなくなって、お前に地獄を見せてしまうかもしれない」
「織り込み済みだよ、そんなの」
「お前はあたしのために無理して、体を壊して、長生きなんかできないかもしれない」
「お前なぁ…今からそんな演技でもないこと考えてたって」
「けどさ…たった一つだけ、絶対に保証する未来がある。…お前が死んだら、あたしはすぐに後を追う」
「……ば〜か。人生の半分も生きてない奴がナマ言うな」
「それこそ、何とでも言え、だ。あたしは絶対やり遂げてみせるからな。…止められるものなら止めてみろ」
「言っておくがな、俺は後を追ったりしないぞ?もしもお前が先に逝ってしまったとしても、歯を食いしばってその先も生きてみせる」
「うん、春希はそうしてくれ。…あたしから、解放されて、力を抜いて、ずっと、いつまでも生きてくれ」
「そんなの、言われなくたって…」
「そしてもし、そんな時が来ることがあったら…雪菜と、仲直りしてくれ」
「……」
「あたしが死んでからなら、許すから…雪菜のところ、帰ってもいいから」
「とことん馬鹿だなお前は…そんなの、雪菜が受け入れてくれる訳ないだろ」
「本当は、本当はさ…もっと違う、一番幸せな道、あったんだよ」
「…もう、寝ろよ。夜、明けちまったぞ」
「教会の祭壇で雪菜が泣いてて、春希が照れてて、そしてあたしが、祝いのオルガンを弾く」
「……寝るぞ、俺は」
「そんな未来が、三人にとって一番幸せだったんだ。……三人の平均を取れば、だけどな」



 無理すんな、長生きしろよってエールと、雪菜ハッピーシナリオが確かに存在し、それを捨ててこの結末を選んだことへの示唆。

 これは確信を持っていえるわけではないのですが、ふとかずさシナリオラストの展開は、パルフェの里伽子シナリオのテーマと反しているのではないかなと思いました。



 さておき、かずさのコンサートは雪菜の心配等どこ吹く風で大成功に終わる。もはや二人の間に生じる距離なんて大した問題ではないということを残酷なまでに見せ付けます。ちなみにそれぞれの演奏については、雪菜ハッピーの時は『世間的に有名なかずさの母が演奏して、年に1回か2回あるかどうかの反応』で、かずさノーマルの時は『数年に一度レベルの、伝説の名演奏と呼ばれるかもしれない演奏』で、かずさハッピーの時が『かずさの母の凱旋公演以来の熱狂的な反応』とされている。どれがどれほど凄いのかはわかりませんけど、こうやって並べてみればかずさハッピーの演奏が一番よかったのではないかと想像できます。

「よかったね…やっぱり、かずさは凄いよね」
「そうだよねぇ、かずさは春希くんのためなら、何でもできるもんね」
「五年前から、ずっとそうだったもんね。わたしに邪魔されても、ずっと変わらなかったもんね」
「よかった…本当によかった。うん、じゃあ…後はかずさに任せたね」
「なんてね…もともと、奪ってったのはわたしなのに、勝手なこと言ってるよねぇ」
「ちょっと言い方変えるね。ごめんね、かずさ…ちょっと長く借りちゃったけど、春希くん、返すよ」
「おめでとう、かずさ。コンサート、成功してよかったね」



 最後の希望すら砕かれ、すがるもの全てをなくしてしまった雪菜は、しかし最後に春希とかずさを優しく送り出します。

「大丈夫…もう、大丈夫なんだよ、わたし。…だって、みんながいるもの」
「家族も、友達も、会社の人達も…みんな、わたしを支えてくれる、護ってくれる」
「だから、たとえどんな大きな傷だって、いつか塞がるよ」



 そんな雪菜の強がりを胸に、春希は雪菜から離れていく。雪菜が最後に胸に隠した想いに気づかぬままに。けして二人の想いが、どちらかが勝っていて、どちらかが劣っているというわけではないことを、如実に示しながら。



 そして春希とかずさは、日本から旅立っていきます。永遠に帰国するつもりのない二人の門出を祝福するものは、当然ながら誰もいない。



 飛行機から最後の日本を眺める春希は、そこで一つの忘れ物に気づきます。

「……あ」
「…どうした?」
「忘れ物…」
「え…でも」
「ああ…いいんだ。捨て忘れた、だけだから」
「そう…なのか?」
「いいんだよ…」

ちっぽけな、ギター一本…。
だってもう、二度と弾かないから。ギター君じゃ、ないから。
それだけは、かずさに求められても、もう二度と手に取らないって決めたから。
雪菜に…捧げたものだから。
今での雪菜の五年間と引き替えるには、あまりにもちっぽけで、笑ってしまうくらい不釣合いな、下手くそな腕だったけど。
でも、雪菜はいつも喜んでくれた。
俺の拙いギターを、電話口で、目の前で、俺の肩で、いつも噛みしめるように、堪能してくれた。
だから、これだけは…本当に、これだけは…
雪菜との別れとともに、俺の中で、永遠に眠らせて…



 これから先、幾度も沈むであろう後悔に浸る春希を、かずさが不器用に護ろうとします。この台詞があったことで、多少は春希も救われたのではないかな、と思います。

「そうさ、あたし今、世界一幸せだ…」
「みんなを不幸にして手に入れた幸せだけど、それでも、心の底から浸ってる」
「なぁ、春希…」
「あたしの今の悲しみや、辛さや、後ろめたさは、どんな嬉しさや、楽しさや、前向きな気持ちでも絶対に和らげることはできない」
「けど、けどね、それはね…」
「今のこの幸福感は、どんな悲しみや、辛さや、後ろめたさでも絶対に消すことはできないってことなんだよ」
「幸せだ、あたし幸せだよ、春希」
「やっと、お前の胸の中に帰ってこれたことが。お前があたしのもとに帰ってきてくれたことが」
「それが、こんなにも…この世に生を受けてから、一番幸せなんだよ」




 
 エピローグ。もはや語るべきこともあまりありませんし、最後の意味深なシーンへの個人的な見解を書いて終わりにします。ここは意見が分かれるところだと思います。決定的なネタバレになるので一応伏せておきますが、、おそらくこれは、事故で身体に障害を負った雪菜のリハビリシーンなのではないかと思います。28日の夜、雪菜が交通事故にあった描写がされています。にも関わらず、不気味なくらいそれに対するフォローが一切ありません。ギターだけはかずさに渡さず、雪菜に捧げた春希。穿ちすぎなのかもしれませんが、この映像は、春希のギターをエネルギーに、2年かけてリハビリした結果を録画したものなのではないでしょうか。歌を練習してかずさと春希を追おうとしている――というのが一番前向きな見方なのだと思いますが、私個人としては、家族や友人を捨てられなかった雪菜が、また二人のところへ行こうとするとは、あまり考えられないのです。もちろんそうであればいいとは思いますが、あまり明るい結末ではないのではないか……、というのが私が今作から得た実感です。いや、もしかしたら、真実はもっと酷いものなのかもしれないとすら思っている。かずさの母に届いた手紙。あれの中身は、いったいなんだったんだろう。『家族の大事な日』『母親はいつでも子の責任を負うべきもの』『最近じゃ、いっつもあたしと武也の二人きりだもんな』『雪菜のためだけの日、だもんな』『あなたちにとって、いずれは受け止めなければならないことだから』『覚悟して、確かめなさい』。POWDER SNOWの弾き語りとともに見せ付けられる雪菜の姿。ミスリードだと思うし、考えたくもないし、絶対に違うと思いたいけど、下手すれば、あれは、ひょっとして、もしかすると……これは、雪菜の命日であることを示しているのではないか?とすら思っています。ネタバレ終わり。全て妄想ですので、外れていればそれに越したことはありません。





 この作品をやってて一番ひどいと思ったのは、closing chapterでの12/31の選択肢で『コンサートに行く』という選択肢があるのに、どうやっても選べないところです。あそこにはかずさがいるってわかってるのに、会いに行けばきっと何かが変わったはずなのに、決して行くことができない。逃げたかずさと追わなかった春希には、これくらいの罰がないといけないってことのかもしれませんが、こればかりはライターを恨みたくなりました。

 (一応CGも音楽もコンプしたので、読み逃しているってことはないと思うんですが……、もしも私が見逃しているだけだったら、すみません)





 おまけのデジタルノベルについて。
 『雪が解け、そして雪が降るまで』はかずさ視点から語られる高校生時代の物語で、『歌を忘れた偶像』は雪菜視点で語られる序章と終章にありながらも本編では語らなかった物語です。両方とも本編を保管する内容となっています。前者は有体に言ってしまえば高校時代のかずさの春希への想いを語ったシナリオであり、つまりここまでくれば既にわかりきっていることを描いているため、そこまで目新しい展開ではなかったかな。ま、二人の馴れ初めを聞かされてると思えばニヤニヤできましたし、おまけとしてはふさわしいものだったかと。後者は大学生に成りたての春希と雪菜の、物理的には近い、けれども心理的には遠い距離感を描いたシナリオです。雪菜の面倒くささが余すことなく書かれており、怨嗟の声を聞く度に読んでて苦しくなりました。また、雪菜が届かない恋に対して抱いていた気持ちが垣間見えるシーンもあります。










 シナリオ全体を通しての雑感と個人的な見解等。あまり前後の文章に脈絡がないです。



 プレイ時間は、終章の共通パートが4〜5時間、個別ルートが5〜6時間。最終章のプレイ時間がおよそ20〜25時間(最終章はプレイ時間を計測していなかったのでかなりあいまいです……)。序章と終章をあわせると、通算プレイ時間はだいたい50〜60時間だったと思います。まともにボイスをきいてたら余裕で70時間をオーバーするんじゃないでしょうか。改めて思いますが、化け物じみたボリュームです。



 今作品は、どうしようもなく人を愛してしまうことを執拗に描いた作品です。ぐずぐずとした愛情の物語であり、生々しいくらいに肉体の物語でもありました。現実志向のフィクション作品としては最高峰の出来栄え。精神性の高尚さとか、心と心で愛することの神聖さとか、そういうものだけではなく、人が求め合い、繋がり合うことの重要さもきちんと描写しています。セックスに関する描写も当たり障りのないものではなく、生々しいものばかりで、今作に欠かせないものになっていました。それは永遠でなく真実でなくただそこにあるだけの想い。『それでも誰かを好きになる』は天使のいない 12月のBGMですが、今作で流れていてもぴったりだったのではないかと思います(もちろん、根本にあるテーマは全く異なります)。しかし、性描写に力を入れている反面、天いなもそうだったんですが、一切抜きには使用しませんでした。見ていて(背徳感やらなにやらで)グッとくるし興奮はするんですが、いやらしい気持ちには全くならなかった。というか、そういう意味では萎えます。雪菜と繋がっているシーンではかずさのことが、かずさと繋がっているシーンでは雪菜のことが、ずっと頭から離れないから。



 FDは、もしも発売すれば確実に購入すると思います。思いますが、できれば出て欲しくない、という気持ちのほうが強いです。作ろうと思えば後日談やらなにやらいくらでも追加できるでしょうし、見たいと思うエピソードもありますし、自分の思い描いたものを否定して欲しいって気持ちもありますが、この物語はこれで完成していると思いますし、無理に付け加えないでほしいとも思う。Leafってシナリオ重視の作品にはFDを作らないスタンスのメーカーだと思いますので、これほどに完成度の高いシナリオであればFDは出さないのではないかと思いますが……やっぱりこれだけ反響があれば製作するのかなあ。そうなれば少し悔しいけど、出たら間違いなく買います。


 
 作品全体を読むにあたっての難易度は低め。だって、ライターが意図的にわかりやすく、読みやすくしてくれているから。なにせ、登場人物は適度にプレイヤーに向かって真情を吐露してくれます。この作品に、女性の視点や、意図的な心情吐露がなかったら、どれくらい読み解くことが難しい作品になったかわかりません。この作品に他人称がなかったら、意図的な心情吐露が、プレイヤーへの情報提供がなかったら、どれくらい複雑で読み解くことが難解な物語になったか、わかったものじゃないと思います。そういう作品もたまにはみたいと思いますが、今作はそういう難解さを採らず、プレイヤーの読みやすさを優先した作りになっている。その代わりにこの部分がリアリティの欠如にも繋がっているため一長一短でもあります。私は許容範囲だと思いますが、このわざとらしさが鼻につく人も多数いると思います。



 この物語では、結局何がいけなかったのか。単純に誰が悪いと言い切ることはできませんが、あえていうなら5:3:2くらいですかね、個人的には。割振がそれぞれ誰なのかはご想像にお任せします。もちろん、感情論そのままに全て男が悪いって意見もアリだと思いますし、いやいや女が悪いんだよという逆フェミニスト発言もアリだと思います。実際はそんな簡単に数値化できるものでもないかなと思いますが、なんとなく思い浮かんだので書き残しておきます。世界で一番NGな恋は、今までの丸戸作品中、最も私の価値観と相容れない作品でしたが、こうして時間が経ってみると、あれはあれでよかったのかな、なんて思いました。



 最初から触れ合わなければ、人と深く関わらなければ、こんなことにはならないはずなのに。限りなく一人で生きていく、という選択肢もなくはないんじゃないかなあ、と思いますが、結局シナリオ全体でこの展開はなかった。作品テーマとそぐわないでしょうし、そんな現実と極めて近しい展開、誰が見たいんだという声はありそうですが、あればこの作品の評価はもっとあがったかもしれない。そう思ってしまうのは私が独り身だからでしょう。でもまあやっぱり、傷ついても、傷つけられても、人は人を求め合う、というテーマの方がしっくりきます。どんなに相手を傷つけるとわかっていても、触れ合わずにいられない。そういったどうしようもない衝動。



 丸戸作品の主人公像って、昔は結構理想的に感じていました。こういうやつならヒロインに好かれるのも当たり前だろうなあと。でも、今ではあまりそう思いません。もう一歩進んで、それだけじゃダメなんじゃないか、とも思うようになりました。主人公が与えるだけじゃダメだろうと。一方が与えるだけの関係では虚しいと。丸戸作品の主人公全てがそうとは言いませんが、少なくとも今作で春希が取っている態度って、女側から見れば非常に傲慢ですよね。相手には優しくするし、理解しようと接しているのに、俺のことは理解しなくていい、助けなくていい、ですよ。相手の優しさを拒否しているに等しい行為です。相手を信頼していないが故の行動だと思います。


 相手を理解するために相手を尊重するという在り方は、もちろんある側面では正しいのですが、しかし絶対的な正解だとは限りません。相手の言うことだけを聞くのがいつも正解だとは思えません。時にはうっとうしがられても、迷惑に思われても、嫌われても、傷つけても、相手に踏み込み、状況を判断し、決断し、実行することができなければ、本当にわかりあうことなんてできやしない。実は、相手の話を聞くだけ聞いて、表面上だけ頷いているのは、それだけでそこそこいい気分になれます。だって自分は相手のよき理解者だって思っていられるから。だから言ってしまえばそれって簡単な行動なんです。でもそれじゃあ、どんなに辛いときでも私は大丈夫という人はいつまで経っても助けることができない。全ての責任を自分で負おうとする人を助けることは決してできない。



 春希っていうキャラクターは周囲に自分のことを相談しない人間として描写されています。現在進行形のことについては、特に。結果については報告するものの、今迷っていて、困っていることは、ほとんど自分で結論を出している。そのうえで、後悔して、懺悔している。なんて自分勝手なやつだと思います。ただし、こんな彼が最低最悪の糞野郎かというと、そんなわけでもないと思うんです。どこがといえば、自分の決断をあくまで自分自身の責任から生じたものと認めている点です。失敗しても、間違っても、他人のせいにはしない(してないよね?)。自信満々に間違っているという表現はなかなか的確。子供で、稚拙で、幼稚な男。でもきっと、純粋だからこそ心惹かれるのだと思います。いつでも正しい選択をして、いつでも合理的な判断を下すなんて、そんなんだったら機械でいい。そんな完璧な人間は、つまらないし、面白くない。



 何度も書いてますが、雪菜は計算高くて汚い女です。最終章での彼女の病んだ描写は半分くらいが演技で理性を保ったままあの行動を選んだのだと思います。だというのに、いざという時には理性ではなく情動に従って行動するという矛盾に溢れた性格をしている。どちらかというと、表舞台に出てこないで恨み妬み嫉みを抱えこんでいた方が映える悲劇系ヒロインであり、誰よりも助演女優賞がふさわしいと思えるキャラでした。悲劇に苛まれ、不幸に付き纏われ、全てが空回れば空回るほど彼女は煌いていく。たとえば小春シナリオなら『あなただけには、もう癒すことができない』という嫉妬と恨み言100%の台詞がキてましたし、千春シナリオなら『これからは春希くんは側にいないんだもの、優しくされた困るんだよね』と執念深さ丸出しで春希に罪悪感を背負わせようとする台詞が雪菜の面倒くささを表現できてて素晴らしかった。春希が別れ話を切り出した時の『雪菜といるよりも、辛くないんだ…』という台詞も最低でよろしい。麻里シナリオは『私は、やっぱりあなたを照らす光になれなかった。あなたに当たるべき光を遮る存在でしかない』という呪いのような独白が最高。


 本筋の感想では意図的に存在を省いてますが、武也も依緒もいいサブキャラでした。特に武也の存在は大きかった。男のサブキャラで、その世界に欠かせない、むしろいてほしいと思えるキャラは本当に珍しい。時にプレイヤーの言いたいことを代弁してくれたり、時に春希のことを助けてくれたりと、大活躍です。彼がいなかったらこの物語はもっと酷いものになっていたと思います。







 以上、雑感終わり。





 BGMについて。どれも印象的な曲ばかりでとても気に入っています。 LeafのBGM作曲陣は相変わらずいい仕事してます。クリアしてから、ふとした時にメロディーが浮かんでくるような曲が非常に多い。 introductory chapterで特に気に入ったのは『氷の刃』『あの頃のように』『言葉にできない想い』『綺麗で儚いもの』の4つ。『氷の刃』は聞いてるだけで陰鬱な気分になれる名曲です。重い低音のピアノがたまらない。ただでさえ重苦しいシーンを息苦しくさせてくれました。『あの頃のように』は曲名どおり憧憬を感じさせる曲調です。これを聞くと昔のことを思い出しそうになります。いい思い出なんてありませんが、ま、美化されたものがないわけでもないし、全ての過去が悪いものってわけでもないでしょう。『POWDER SNOW PIANO 2010』もかなり好きですが、相当思い出補正がかかっていることを否定できないため選外。ほんと、この曲はサビメロが最高ですね。closing chapterのお気に入りは『Snowfalls』『溶け合う心』『最後に残るもの』『誰かが傷ついても』の4つ。『誰かが傷ついても』は使われ方が印象的で、春希が誰かを裏切ってる場面で頻繁に流れるため、聞いてるだけで背徳感が募ってくる名曲です。『Snowfalls』は聞いてるだけでささくれが取れていき、穏やかな気分になれます。優しく包み込むようなピアノが印象的。『最後に残るもの』も名曲なんですが、雪菜との関係が修復され、そして崩壊していく過程で頻繁に流れていた曲であるが故に、聞いてるだけで胸が苦しくなってきます。

 ボーカルソングについて。幸せな記憶は序章のイメージソングという感じでかなり好みでした。『同じ空の下で生きている』ってフレーズ、ありきたりだとは思うけれど、離れ離れになりながらも春希を想いながら生きているかずさの姿を連想させてかなり好き。終章のOPに使われている曲ですが、在りし日の思い出を歌った曲だと考えれば、終章とはまた別の意味で最終章にもマッチしている曲だと思います。届かない恋はもうトラウマです。最初に聞いたときはあまり印象に残らない微妙な曲だったはずなのに、今はもうイントロのギターを聴くだけで、春希の後悔、かずさの嫉妬、雪菜の絶望を感じさせてくれる。そしてイントロのギターを聴く度に、終章間際、雪菜のために何度も届かない恋を弾いていた春希の姿を思い出させ、辛くなります。何気に場面場面で歌い分けしているところもポイントで、声優さんは本当にいい仕事してくれていたと思います。時の魔法はものすげえいい曲で、特にメロが最高に好みなんですが、かずさの気持ちを思えば思うほど、この曲に対する拒否感があふれ出してきて仕方なく、どうも心から好きだといえない。なんかもう離別の曲というイメージが染み付いちゃってしまいダメです。本当にいい曲なんですが、イントロの祝福するかのような優しいピアノが、かずさの慈愛の心、というよりも諦観を感じさせてもう……。いったいどんな気持ちで曲を書いたのやらと思うと、苦しくて仕方ない。心はいつもあなたのそばには、これから先ずっと一人で生きていこうとしているかずさの決意を歌った名曲です。『きっと私の心はいつもあなたのそばにあるから 会えない日が続いても平気だってこと伝えたいな』ってフレーズがかずさの精一杯の強がりを感じさせて涙が出てくる。closingは最終曲だけあってかずさのイメージソングみたいになっています。『離したくない 離れたくない でも諦めてた』から『離したくない 離れたくない もう諦めない』へ、『ただそばにいて それだけでいい 素直にはなれないけれど』から『ただそばにいて 聞かせて欲しい 二度と一人にはしないと』へ。歌詞が見事にかずさの心情の推移を表現していました。ギターソロもメロディアスでたまりません。 

 POWDER SNOWの弾き語りなんてもうなんともいえない気分になったし、いつか見た景色は何度聴いても憧憬を誘うし……、感想を書いていない曲もたくさんありますが書き出したら止まらないのでこの辺で。どの曲もシナリオをきちんと踏まえたうえで書かれている歌詞が素晴らしかったです。思わず全曲耳コピして歌詞を書き出してしまった。CVについては論じられるほど詳しくないのですが、どれもキャラにマッチしていたと思います。特に雪菜の悲痛な声は聞いてるだけで痛々しくなりました。





 システムはさすがのLeafということでストレスフリー。雪が降る演出は天いなの頃既に確立されていたように思えますが、今作ではさらに磨きがかかっていました。音楽モードの背景でずっと雪を降らせる演出とか、いったいどうやってスクリプトを書いてるんだろう。それでいて軽いシステムに仕上げているのは見事。システム面で少し不満だったのは、バックログの形式が昔の方がよかったところと(遡れる量はともかく、一度に表示される文章量が少なくて読みづらかったし、これなら天いなのような文章を遡ると背景も切り替わるシステムの方がよかった)、あとは一度話が進んでしまうと前のムービーが見れなくなってしまうことくらいですかね。幸せな記憶が好きなので、終章のムービーが見れなくなってしまうのが少しショックでした。できればムービー集も欲しかったところです。あと個人的にですが、最後の飛行機の座席から日本を眺めているシーンは差分くらいあってもよかったんでないかな、と思います。春希泣いている描写されてるわけだし。


















 本当に長くなりましたが、以上で感想は終わりとなります。これから手を加える可能性もありますが、キリが無いのでひとまずはこの辺でおしまい。我ながらよくも書いたもんだと感心します。しかしこれだけ書いたにも関わらず、言いたいことの半分も文章に出来ていないのではないかと感じてしまうのがもどかしく情けない。まだまだ引用したいシーンや台詞がたくさんあるんですが、上手く使うことができなかった。まったく自分の文才のなさが嫌になりますが、これが自分の限界だと思うので諦めます。











 まとめ。パティシエなにゃんこ、ラブラブル、パルフェ等に並ぶ至高のキャラゲーかつシナリオゲー。個人的には、あんまりリアルが充実していないオタクの人の方がより楽しめると思いますが、余計なお世話か。

 積極的にプレイし直したい、やり直したいと思えるような明るい読後感ではありませんでしたが、気付くと再プレイしてしまう魅力があります。純粋に相手を求める愛と、他人から求められたいという願望。他者への優しさが、相手への献身故の愛なのか、それとも相手から優しさを求める打算なのか。けして明確には分かつことのできない感情の機微を、理詰めで描いた傑作です。 

 最後に蛇足ですが、全シナリオをクリアした後には、終章雪菜シナリオを再プレイすることをお勧めします。ここで味わえる罪悪感は格別で、良心の呵責に耐え切れなくなりました。少なくとも前と同じ視点じゃ見られない。いずれ失われるとわかっているものを見続けるのは辛すぎます。しかも、その失われ方が殊更に酷いものだとわかっていれば、なおさら。

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No title

 とりあえず、レビューを拝読しました。ただ、なんというか、ひどく雪菜に対して悪意のある捉え方だなあという印象を受けました。
 雪菜の台詞の一つ一つ、行動の一つ一つに裏があり、全てが計算づくのもので、だから汚い女だいう解釈は、逆に言えば裏がなければ良いのか。天然であれば許されるのかという反論を私の中で呼び起こさずにはいられませんでした。
 私に言わせれば、散々場を引っ掻き回し、世界をぶち壊しにしておいて、何かといえば「あたし弱い人間だから」とか、「あたしが卑しい人間だから」とか言っているかずさの方がよほどやり方が汚いと思えます。
 何より、かずさルートでの彼女の台詞。

「少しは…恨みを晴らそうとか思わないのかよ。あたしを同じ目に遭わせようとか、考えないのかよ」

 という台詞には、お前は、お前は、雪菜がそんな女だと、本気でそう思っていたのか? と、怒鳴りつけたくなりました。これは、かずさにとっては無論誠意の表れだったのでしょうが、雪菜にとっては、かずさが自分という人間を、かずさへの想いを、まったく理解してくれていなかった証明でした。もしも依緒がその場にいたら、怒って叫んだことでしょうね。
 雪菜が最後の最後には壊れなかった理由。それは、満たされていたからでも、支えてくれる人がいたからでもない。ただ雪菜は、そんなことになったからといって何も解決しない。ただ春樹とかずさを、自分の大切な人を苦しめるだけだということを知っていたからだと。私はそう思います。
 

No title

この作品の凄いと思うのは、
他のプレイヤーの感想が自分の感想と違うと、批判する人が多いことです。
製作者は、この状況を見てニヤニヤしてるんでしょうね(笑)
某所では、雪菜派とかずさ派が毎日闘っているみたいですよ!

逆にいろんな人のレビューを見ると面白いですね〜
だって全然感想が違うんだもの・・・

ほとんどの人が、丸戸さんの嘘に騙されているから・・・
真実の春希や雪菜、かずさに気づかないから・・・
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